ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」53 差別する意図の有無が問題ではありません

 国会議員や知事などの首長、大手企業や社会的影響の強い組織といった「特権」を多く有する個人や集団による差別言動が、たくさん取り上げられてきています。今年に入っても、それはなかなかのもので、人権に関する学びが本質に迫れていないのかを嫌というほど見聞きします。また、そうした言動により、対象となる属性を有する人たちは権利を侵害されるなどの被害を受けること、差別が助長されることにより、差別被害の可能性が高められてしまうなど、非常に深刻な「結果」をもたらしています。

 差別言動は「異性愛者・シスジェンダー・日本人・男・非被差別部落出身」などの属性を有する特権を多大に持つマジョリティによって行われています。特権を有するマジョリティが正常性を抱く、優越性を抱く、そして権力を持てるような中で、差別が発動されています。差別に及んだマジョリティが、批判を受けた後に用いる弁明に「差別する意図はなかった」と主張することがあります。これは案外、マジョリティに受け入れられてしまう場合があります。「意図がなかったなら仕方ない」。これがいかに問題であるかを抑えていきたいと思います。

 まずは、この間の代表的な事象を挙げていきます。

神道政治連盟(神政連)で配られた冊子

 2022年6月13日、神道政治連盟の国会議員懇談会で「同性愛は心の中の問題であり、先天的なものではなく後天的な精神の障害、または依存症」「体の性は男と女の二つしかなく、性的指向、性同一性・性自認、性表現の性差は全て精神領域の範疇」「LGBTの自殺率が高いのは社会的な差別が原因ではない」「性的少数者の性的ライフスタイルが正当化されるべきでないのは、家庭と社会を崩壊させる社会問題となるから」などを論じた、事実誤認甚だしい差別言説が記載された論考を冊子として配布し、司会の議員から「読んで欲しい」と書かれた冊子が配布されていたことが報じられました。神道政治連盟にYさんが講師を務めるにいたった経緯などについて「女性自身」が問い合わせたところ、担当者は「一部の報道では、Y氏のことを差別的だといいます。ただYさんは講演に際して『私には差別の意図はございません』とハッキリおっしゃっています。講演録の方にも、そういう風にきちんと書いております」「私たちも差別的な目的で会合を開いたわけではありません。あくまで理解を深めるためです」と答えたと報じられています。

 「差別の意図はない」と前置きしたり、批判された後に、そう言えば、何を言っても許されるということですか。「はあ?」です。

東急ハンズのツイート

 東急ハンズは、公式Twitterで2022年6月12日に「ゴリラゲイ雨が来たらちょっと困るけど、ゴリラゲイ雨を見てみたい気もする」などとツイートしました。数時間後、Twitter上で多くの批判投稿が寄せられたことを受け、東急ハンズは「不快に受け止められた方に謹んでお詫び申し上げます。差別的な意図は念頭になく投稿したものですが、そのような文脈で使用されることもある単語であるとの認識が不足しておりました。誠に申し訳ございません」と謝罪した上で投稿をを削除しました。

 ここでも「差別的な意図は念頭になく投稿したもの」だそうです。それなら許されると思っているのでしょう。この行為によって、

「どんな結果が起きたのか」「誰がどんな状況に置かれたのか」

は想像すらされていない、マイノリティや他者への無視状態ですね。

JR東日本によるロシア語案内板の非表示

 2022年4月19日、JR東日本がJR恵比寿駅のロシア語の案内表示を一時、紙で覆い隠していた問題で、深谷光浩東京支社長は定例会見で「差別の意図はなかったが、総合的に考えて適切ではなかった。おわびしたい」と謝罪しました。

 ここでも「意図はなかった」と述べられています。ほうほう。

静岡県知事の発言

 静岡県のK知事は知事に就任するまで学長を務めていた「静岡文化芸術大学」の学生について、「8割ぐらい女の子なんです。でも11倍の倍率を通ってくるんですから、もうみなきれいです」「めちゃくちゃ顔のきれいな子は賢いこと言わないとなんとなくきれいに見えないでしょう。ところが全部きれいに見える」などと、女性の学力と容姿を結び付けるような発言をしていました。また、新東名高速道路の建設現場に学生を連れて行った時の話として、「工事現場にうら若き女の子が来たなんていうのはおそらく道路建設史上初めてのことじゃないですか。翌日から仕事がはかどってそれで1年半前倒しできたんですよ」などと述べていました。県議会一般質問で「内面が輝いている学生が多く、美しいと思ったが、言葉足らずだった。差別する意図はなかった」と謝罪しました。

 うんざりですが、ここでも「差別する意図はなかった」と。「だから何やねん」です。

プロ野球 日本ハム選手

 2021年4月、プロ野球・日本ハムの選手らが試合前に「円陣」を組んだ際、アフリカをルーツのある万波中正選手が「一昨日と昨日勝てて、今日勝てば今シーズン初の3連勝ということで、全員で勝ちにいきましょう。さぁ行こう」とかけると、ほかの選手らは「なんで?」「1人でやれ、お前」などと冷めた様子が記録されています。そうしたやり取りの中で、誰かが「日サロ(日焼けサロン)行きすぎだろ、お前」と発言しました。「日サロ」発言の有無などについて、朝日新聞グローバルが日ハムの広報部に取材したところ「該当の動画を確認し、該当の発言が微かに聞こえることは確認しました。発言している選手の口元の動きまでは分からず、4カ月が経過し、誰が誰に対して、どのような意図で発言しているのかは確認できませんでした。発言が差別を目的とした悪意あるものであったならば看過できませんが、誰がどのような意図をもって発言したものか、確認が取れておりません」と回答があったと、朝日新聞グローバルで報じられていました。

 「どのような意図で発言しているのかが確認できない」が言い訳に使われています。万波選手やご家族、同じ属性を有する人たちは、ここでも「置き去り」か「後回し」です。

三重県及び三重県警の差別イラスト

 2021年、三重県がホームページに掲載した「外国人の不法就労。不法滞在の防止について」のお知らせで使ったイラストに対し、SNSで「差別的」などの批判が相次ぎ、県がこのイラストを削除したことが発覚しました。お知らせは、県警本部生活環境課が作成し、県のHPにアップされていました。不法滞在の外国人の多くが「不法就労しているものと思われる」と指摘し、地域住民に警察への情報提供を求めるなどの内容で、イラストには「在留資格 調理師」のカードを手にした人物が、資格外の工事現場で働く人の姿で笑う様子などが描かれていました。県警本部の担当者は「他県の警察関係者が作成したイラストを使用した。差別助長の意図はなかった」と説明しました。

 差別が助長される「結果」となりましたが、これ以降、県警や三重県は何もしていません。助長した責任はどうなるのでしょう。

茨城県潮来保健所のメール

 2021年茨城県潮来市の潮来保健所が管轄の市役所や農協あてにメールで送った問題の文書の中には、「外国人と一緒に食事をしないようにしてください」「外国人と会話する時は必ずマスクをつけてください」というように、「外国人」という言葉が繰り返し使われていました。外部から「不適切ではないか」との指摘を受けた後、保健所は文書を撤回し、「外国人を差別する意図は全くありませんでしたが、誤解を招く表現があった」と謝罪しました。

 「差別する意図は全くありませんでした」、でも助長しましたけど。「誤解を招く表現?」誰がどんな誤解を招いたんですか。もしかしてメールを受け取った側に問題があるとでも?全く加害性が見えていません。

新潮45に掲載された国会議員の寄稿

 2018年7月18日発売の月刊「新潮45」に自民党の国会議員の気候が掲載されました。内容には「LGBT支援の度が過ぎる」と題し「『常識』や『普通であること』を見失っていく社会は『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません」「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」などと書かれていました。これを受け、SNS等で批判が広がっていったところ国会議員は、自身のSNSアカウントで、先輩議員から「間違ったこと言ってないんだから、胸張ってればいいよ」などと声をかけられたとし、「自民党の懐の深さを感じます」と投稿した。これについては「謝罪」にも及んでいません。党議員の発言に非常に軽い「注意」で済ませた政党の姿勢は、神道政治連盟の問題とつながっていると考えて自然でしょう。

 ちなみに私は、与党だから批判しているわけではありません。どの政党であろうとも、ダメなものはダメだと指摘する生き方を選択しています。

「そんなことを言われたら何も言えない」わけがない

 まず、こうしたことを「差別だ」と指摘したり批判する声が上がると、マジョリティの中から「そんなことを言われたら、何も言えない」と、まるで差別に対して「正しく」指摘や批判している側に問題があるというものや、自分の表現や言論の自由を奪われている「被害者のようだ」と受け止める人たちが出てきます。

 「では何も言わないでください。そのことでマイノリティが傷付けられません」と言いたくなる時もあったりなかったり。このような指摘をしても、「何も言えなくなる」と受け止めているマジョリティが黙ることはないでしょう。本来、そんなことを目指すものでもないとも思います。考えてほしいのは、他者が傷ついていようが構うことなく、これまで自分が置かれてきた有意な状態を維持したい、維持しようとしていることであり、それは重大な問題です。あえて、こういう言い方をしますが、子どもたちはどうすればよいかを考え、自らを問い、他者に相談するなどを通じて、ベターな方法などを導き出していきます。

常にアップデートを

 「差別する意図がない」ということを持って、それが差別をしていない・差別をしない・していない結果にはなりません。マジョリティ側の「思いやりや優しさ」「心の持ちようやありよう」とは関係ありません。「こう言い換えればいいのか」と言葉の選択を重視するマジョリティもいます。不正解ではありませんが、正解でもありません。本質が理解されないと意味がなく、マイノリティや他者が傷ついていることに対して、謙虚に真摯に向き合い、差別について考え、差別をしない努力・そして差別をなくす努力を講じるべきです。

 この社会には、今となっては、特定の表現や言葉が差別にあたる・不適切だとされるものがいくつも出てきています。言葉や表現の由来は、差別する意図で使われた言葉ではないということは歴史的な観点から、そうだと思いますが、だから今も用いても問題がないのかというと、そうはいかないと思っています。その表現や言葉にどのような歴史性があるのかを知ることが大切です。「表現や言葉ができた始まりには、差別や問題がなかったことから、現在でも問題がない」という考え方には賛同できません。

 ご覧いただき、ありがとうございました。

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