ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」60 濱家さんの恩師に負けないわたしの恩師たち Part2

 前回に引き続き、中学時代の恩師たちのことを書いていきたいと思います。前回のPart1はこちらです。

自分に襲いかかる可能性のあるものの正体

 この世の中に、生まれ育ちやルーツを理由に差別してくる人たちがいること、この地域がそうであること、私たちがその出身であることを教えられました。6年生の時には、父や母から聞き取りをするという学習もある中で、特に父は建設関係の仕事をしていたこともあり、工務店を経由して依頼された仕事先で「どこからきてくれたんですか」と施主さんに聞かれ、地名を答えると今で言う「マイクロアグレッション」を受け続けてきたこと、その差別に対し、人よりも早く丁寧に仕事をすることで見返したいという思いを持ちながら仕事に望んでいたことを初めて知り、部落問題のことを知った当初は、差別というものがぼやけていましたが、やがて自分にも襲いかかるであろう差別の具体像の焦点が徐々に合い初めてきたように思います。

 成長するにつれ、部落問題学習の内容もより現実的なものへと進み、いつも優しく温かく接してくれていた青年たちの被差別体験を初めて聞き、知らなかった一面への出会いの衝撃とともに、より鮮明に差別を受けることへの不安を抱き初めていきました。同時に、部落にルーツのある子どもたちだけが隣保館に毎週集まり、人権学習を他の地域の子どもたち以上にしていることには不満を抱いていました。ただただ遊びたいという思いもあったし、そもそも何故、被差別の側が頑張らなければならないのかというものです。この不満には、ともに差別をなくす仲間になってほしいという願いが込められていましたが、それを自分では気づけていませんでした。「他地区の子たちは遊べたり、やりたいことができていたりしてずるい」。学習することの大切さは感じていながら、その不満を払拭できないまま、中学校へ上がることになりました。

 もう一つ。運動の願いや要請もあり、子どもたちには地元に生まれ育ったことに「誇り」を持てるようにみたいなことを5年生くらいから求められてきました。先生が何を望んでいるのかがわかり、その求めに応じられるタイプの子どもでした。家族から求められる「長男像」に適応できていたことも、そうした力なるものを手に入れることになったのかも知れません。でも、「誇り」だとか「地域を好きになる」「自分を好きになる」などは、「内面から出てくる」ものであり、他者から押し付けられるものではありません。空っぽとは言いませんが、「誇り」だと言える具体には何があるのか、そのことを問われる機会のないままに、中学校へ上がることになりました。

 後一つ。同じ地区にルーツのある同級生は私を含めて10人。保育園から一緒の子たちばかり。でも、前述したような私自身が抱かされてきたことも、他の9人の子たちが何に悩み、何に困り、何を知ってほしいのかについて互いに語り合うような実践に小学校では出会うことがなかったので、学校以外でも接点があるだけに、私は9人へのバイアスに気づくことができず、この子はこんな子みたいに、知っているつもりが出来上がっていました。

「ここで生まれたことを誇りに思う」と思うに至った「わけ」

 転機は中学校で訪れました。ここからの話は、当時の先生たちや同級生から後に聞いた話が多く含まれています。

 中学校へ入学し、少し経ってから中学でも地域の学習会に参加しました。先生から小学校でどのような学習をしてきたのかと聞かれ、出版社の差別図書事件の学習をしたこと、親への聞き取りをしたこと、地域に誇りを持つことができるようになった等々、10人それぞれが答えていきました。先生がひっかかったのは私たちが語った「誇り」。そう思いに至った具体的なものが掘り下げても出てこないことに、「これではいけない」と思ったそうです。このたちが内面から誇りを持てるようになるための体験を具体的に積み上げていくことが地区学習会の目標になっていったようです。

 そうこうしていた中で、学年で「いじめ」が起きました。被害者は、2歳で保育園から一緒になった幼馴染の女の子A。明確な加害者は、地区外の女子生徒十数人。同じ地区の女子生徒3人は、いじめに気づいていながらも関わらない選択肢をとる結果としていじめを容認する加害者。私を含む男子生徒は誰もいじめに気づかない、いじめを持続させる間接的加害者でした。いじめのきっかけは些細なことで1対1から始まります。あえて押さえておきますが、いじめの原因に、Aが出身であることなどの部落問題は直接には関係ありません。しかし、部落問題を自らに引き寄せて捉えなければならないという点で、いじめ問題は全く無関係ではありませんでした。身体的な暴力や言葉の暴力といういじめではなく、周囲にはわかりにくい排除や無視、回避という方法によるいじめでした。

「私は困っている人がいたら助けてあげたい」は危うい

 いじめが始まってからも、Aと一緒に学校へ帰ることもあったし、地域の学習会も続いていましたが、Aは誰にも何も話しませんでした。正確には話せませんでした。生徒の誰を信じていいかわからない、親に相談すると負担をかける、先生に相談してひどくなったりするのではないか等々です。しばらくして生徒の変化に先生が気づきます。どうも表情が暗い、他の子と急に話さなくなった、部活も休むことが出てくる等、先生はこの子に声をかけます。「何かあったのか」。その言葉に、押さえていたものが溢れ出るように大泣きをしたと後に教えてもらいました。小学校の時、人権作文やポスターなどには、「差別はいけない」「いじめをなくそう」「自分は困っている人がいたら声をかけたい」「差別やいじめを受けている人がいたら守りたい」などの言葉が並んでいました。これらの言葉は「ウソだ」とは言えない、でも当時はリアリティがなく、遠い問題として生徒の中で処理をされていました。それは私も部落問題を除いては例外ではありませんでした。

 先生はAと何度も話をし、親にも伝え、問題解決に向けた動きがスタートしていきます。まず、地区学習の中でこのことを取り上げていこうと、被害者と家族が合意し、ある日の学習会に望むことになりました。前回の振り返りが終わった後、今回のテーマについての話になった時、先生はAに「いけるか」と声をかけます。途端に、Aは泣き崩れ、私を含む6人の男子生徒は何が起きているのかわからず、ただただ驚いていました。3人の女子生徒は、バツの悪い表情をしていて、後に振り返ると「ついにこの日がきた」というようにも捉えられるものでした。

自分のスタンスが問われていたことを初めて自覚して

 しばらくして、Aは徐々に落ち着き、大きく深呼吸をすると、「私いじめられている」と言うと再び泣き始めます。また落ち着くと、いつから、誰から、どんなかたちでいじめを受け、そのことを自分はどう捉え、どれだけしんどかったのか、同じ地区の3人に助けて欲しかったが3人の気持ちもわかる面もある等々、自分が経験してきたこと、感じ取ってきたことを語りました。Aが一通り話をした後、先生が9人に「今の聞いてどう思う?」と振ります。この時、私の脳裏にはAへのある思いが芽生えていました。「何故、自分に言わなかったのか」。先生が他の生徒をあてて答えさせ、「初めて知った」「まさかこの学年に」みたいなことを男子たちが話す中、それも自分が抱いた思いでしたが、かなり強めに前者の思いが私を支配していました。

 そして、私の番になり実際に言葉にしてしまいます。「なんで一緒に帰ったこともあったのに言うてくれへんだん?言うてくれたらなんとかできたのに」。先生は見抜いていました。「今のお前になんとかはできない」。そんな偽りの正義感ぶった言葉とともに、被害者に責任を押し付けるような物言いに、とてつもなく怒られたのを覚えています。ものすごい剣幕で「今言うたこと、よう考えてみ?」。そう言われ、しばらく考えました。気がつくのにそう時間はかかりませんでした。「とんでもないことを言ってしまった」。Aへの「ごめんな」の一言に、先生は「何が悪かったと思ったんや?」と問いかけ、「いじめられてること言いたかった、相談したかったけど、できやんだんやと思って。いじめられてる側に責任あるみたいなことを言うてしもた。俺が人から相談してもらえるような人間でなかったから、いじめが長引いたとも思う。それをあんな言い方したから。」と答えると、「お前もそんな経験してるやろ?」と言う言葉が返ってきました。自分の中で張り詰めていたものが、この言葉で水風船に小さな穴が空いたような感覚になり始めます。とはいえ、そんなすぐに言葉にできるものではなく、周りの視線も気になってしまったこともあって、「まあ、うん」みたいに返したと記憶しています。私はさまざまな場面で自分のスタンスを問われていました。でも、自覚的になったのは、これが初めてでした。

強烈で、重く、鋭い問いかけ

 そこから、先生なりにこの間、私たちに関わってきたり、暮らしを捉えたり、親と話し込んだりしてきた中で、感じ取ってきたことを、今回のいじめ問題と重ねて語ってくれました。

 「いじめ問題とそこへのそれぞれの関わり方は、これまでの・今のクラスメイトとの関係性を示していて、保育園から一緒にいるというだけで、それぞれが本来の自分の姿を出せていないし、牽制しあっていて、まるで着ぐるみを着ながら接しているような、偽りの友人関係で今に至っている。だから、肝心な時に、それが表面化して、苦しいことを苦しいと言えない、助けてほしい時に助けてと言えない、苦しい思いをしている子に気づけない・助けてほしいと思っている子がいるのに見えていないし見ようとしていない。いじめで苦しんでる子が目の前にいたのに、何してんねん。差別やいじめの問題を「する側」と「される側」の問題と捉えているのが、そもそも誤りで、そのことに今回のことで気づいたやろ。差別なくすって口だけか。だから、地区外の子たちが地区学にきてほしくてもきてくれへんねん。小学校お時、投げかけたけど、きてくれへんかったんやろ。これでは届かん。一体、どうしたら言いにくいことを言い合えるんや。知ってほしいことを知ってもらえるんや。本当の自分てなんやねん。君らは一体、どんな友だちを求めてんねん。」

 この続きはPart3で。ご覧いただき、ありがとうございました。

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