ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」61 濱家さんの恩師に負けないわたしの恩師たち Part3

 前回に引き続き、恩師のことを書いていきたいと思います。ちなみに前回のPart2はこちらです。

初めて向き合う「本当の自分」なるもの

 自分のスタンスは、さまざまな場面で問われ続けていました。しかし、意識的にも、無意識にも避け続けてきていました。周りにとって「いい人」でありたかったので、言いにくいことを避けてきました。それをすると、嫌われると思ってきたからです。でも、それができないと友だちと言えるのかと言う問いかけでした。本来の自分は学校では30%ほどしか出せていませんでした。弱みに漬け込まれたくない、周りからのバイアスに応えることが今のポジションを維持できることにつながる、嫌な思い・傷ついた時ほど笑っていました。それがしんどくって、小学5年生の途中から、月に1度か2度「月曜日不登校」になりました。体温計の先を服に挟んで擦り、37度にして仮病で学校を休んでいました。着ぐるみを着続けることに耐えられない日がありました。誰もいない家で一人、着ぐるみをずっと脱いでいられる時間をつくり充電していた感じです。そんな自分とは早く決別したいと、ずっと思っていました。

 先生から「このいじめ問題をなくしていくには、自分らが本音でぶつかれやんとあかん。今回のことを期に自分は一体何を求めているんか、どうしたいのか、どんなことを知ってほしいのか、じっくりと自分を振り返り、自分を見つめて、作文に書いていきな」、こんな課題が出されました。17時ぐらいだったと記憶しています。原稿用紙が出てきて、それぞれに配られました。書くのは得意だったので、割とスラスラと書いていきいました。でも、それは「名前を変えれば、誰でも書ける」ような作文です。問われていることが何も書かれていない、先生を意識し、求めているのはこういうことだろうと言うような、まるで原稿用紙のような薄っぺらさでした。最初にできたこともあって、やや得意げに「先生、書けた」と見せたところ、先生は、5枚書いた作文の1枚目の半分くらいまで読み進めた時、「なんやねん、これ、やり直し」と言って、原稿用紙を引き裂きました。「えっ」と、とても動揺しました。初めての経験でした。しばらくその衝撃に言葉も出なかったのですが、「やり直し」と言われたので、先生が喜ぶような作文を意識しましたが、結果は同じで読んでもらえません。一生懸命に書いても読んでくれない、私の指先は、完全に先生側に向いていました。でも、どこから薄々感じ始めていたんだろうと思います。

初めて語る「本当の自分」なるもの

 先生は、それを見抜いたのか、「お前は、一体いつまで自分から逃げてんねん」。作文開始から2時間以上経過し、先生への反発心もあり書かずにいた私に投げかけられた言葉です。あんなに「ドキッ」としたことはありませんでした。自分の表情がこわばっていったのをはっきりと覚えています。その動揺にも気づいたのか、「お前もしんどいんやろ。違うんか」。気がつくと、弟たちの前で「泣く」ことを許されなかった私が、弱い自分を見られたくないと強がってきた、しっかりしていると思わせるように懸命に生きてきた自分が、人目もはばからず、涙を流していました。その姿に周りは驚いていました。あの時のような感じで泣くタイプではないというバイアスが強く働いていたからです。先生が「言うてみいや」と機会をつくってくれました。地区学習の部屋は静まり返っていましたが、とても温かい静けさでした。自分なりの生きづらさや困りごとなどについて、初めて、それも結構具体的に語った記憶があります。誰がどんな表情で聞いてくれていたのか、全く記憶がありません。でも何を語ったのかははっきり覚えていました。「そうかあ。そう思ってたわ。そら、しんどかったなあ」、この先生の言葉に再び涙が止まらなくなりました。その様子に泣いてくれる先生もいました。

長年にわたる友だちへのバイアス

 先生は、9人に「今の初めて知ったん?」と聞いてくれ、みんなが「うん」と返していました。女子の2人も泣いていたのをそこで認識しました。先生から「それ書こか」と言われ、初めて活字にもしていきました。でも、そうする前に、先生は「今の聞いて、自分も知ってほしいこと話してみやへんか?」と優しく9人に言葉をかけました。しばらく沈黙の時間が続きました。それぞれが葛藤し、自分と闘ってていました。「言うたら楽やで」と先に語り受け止めてもらえた経験を初めてした私は、周りにそう声をかけました。すると、9人それぞれが抱えてきたものを語り出し、知ってほしい自分のことを開示していきました。驚きの連続でした。こんなに長い時間、一緒に過ごしているのに知らないことがあまりにも多かったこと、自分にあるバイアスに気づいたこと、自分が友だちに関心を持って接していれば長い時間、知ってほしいことを言えずに生きづらい思いをしなくてもよかったのにとも思うようになりました。

 そして先生は、「自分ら部落差別について、どう思ってんの?地区学に他地区の子が来てくれへん不満を持っていることは聞いたけど、不満をぶつけても変わらへんように思う。周りに何を望んでるんや?」。私は後々、受けることになる結婚差別や交際段階で受ける差別、今で言うマイクロアグレッションへの不安を抱いていました。地区外のクラスメイトは、部落差別とは何で、そうした差別を受けてきた地域はどこで、差別を受ける可能性があるのはどの地区の子なのか、その地区の子たちは毎週木曜日に差別をなくすための学習をしていること、ここまでは知ってくれていました。でも、私たちが「差別を受けることに不安を抱いている」こと、差別被害が起きる可能性はこれからますます高まってしまう可能性があること、そして「ともに差別をなくす仲間になってほしい」と地区の子たちが強く願っていることは知りませんでした。知ってほしいこと、伝えたいことの中に、このことは割と強めに自分の中にありましたので作文に書いていきました。

 みんなが作文を書き終わった時には、時間は22時をまわっていました。この日、18時を回ろうとしていた時、先生たちは分担をして、各家庭に電話をし、今日は遅くなると言うことを伝えていました。私の家に電話していたやり取りは、母が電話に出たようで「あ、お母ちゃん?柘植中の◯◯(先生の名前)です。今日ちょっと帰らすの遅くなんねんけど噛まへん?また詳しいことは後日報告させてもらいます〜。悪いことをしたわけやないんで。すいません〜」、以上。(あれだけ家で親と一緒に呑んだら、まあこんな感じになりますね。)

不安で一睡もできなかった初の経験

 帰り際、先生は私たちに「明日、この作文、みんなの前で読もに。んじゃ、解散。自転車で帰らなあかんで後ろ、先生らが付いていくで」。頭の中が一瞬、真っ白になった後、「それはなんぼなんでも、やばすぎるやろ」と恐怖感みたいなものが襲いかかってきました。「あれ、読むの?」、自転車で帰ったのは確かですが、どうやって帰ったのか覚えていません。家に着くと玄関の灯りが付いていて、ガラッと開けると母がキッチンから出てきました。先生が「今日はこんな遅くまですいませんでしたな。無事届けました。詳しいことは必ず報告に来ます」といって帰っていきました。母はご飯を用意してくれていましたが、喉を通りませんでした。お風呂に入り、「寝るわ」と声をかけ、部屋に入り、ベッドに横たわりました。そこから一睡もせぬまま、朝を迎えました。「どうしよ」「みんなに知られてしまう」「心の準備が」「みんなどんな反応するんやろ」「怖い」。天井を見上げながら、そんな言葉が頭の中をぐるぐるまわっていました。

 気がつくと朝になっていて、久しぶりに朝日が出るところを見ました。「今日、学校、休もうかな」、そんな思いも芽生えましたが、100%の確率で迎えに来られるのはわかっていました。朝ご飯は、いつもの3分の1くらい食べてすませ、凄まじく重く感じた自転車のペダルを漕いで登校しました。教室はいつもの雰囲気、いつもの光景とは少し異なっていました。仲の良いツレが「おはよう。見てみ?」と声をかけながら向けた指先は時間割で1限目から6限目まで「学年集会」となっていました。「うわ、ほんまにするんや」と言葉に出てしまったこともあり、「昨日の中友(中学生友の会)でなんかあったん?」と聞いてこられ、「ドキッ」とし、「うん、まあ」と返しました。その雰囲気を察してくれて、「そうなんや」と言い出しにくいことのようだと思ってくれたようでした。女子たちは、それなりに感じ取っていました。「いじめの話に違いない。先生に怒られる」、そんな感じだったようです。

 朝の会に先生は少し遅れてやってきました。「おはよう。今日は学年集会をすることになったので、今から何も持たなくていいので、視聴覚室に移動して」。2つのクラスからゾロゾロと生徒が視聴覚室に向かいました。私を含む地区生10人は、他の40人が持っていないものをポケットに忍ばせていました。昨日書いた「作文」です。

心から怖くて震えたけど

 教室には、学校長、教頭、学年主任、同推、担任、副担任と授業のなくなった先生がいました。50人がカーペットに座り、周りを先生たちが囲むように座ります。学年主任の先生が司会者となり、説明が始まります。「実は昨日、中友のメンバーがとても重要なことを語り合い、みんなに知ってほしいこと、伝えたいことを作文に書いてくれています。今日は、10人それぞれがその作文を読むので、みんなは感じたこと、気づいたことを返してほしいです。初めて伝えることばかりです。真剣に聞いてください。よいですか?それでは〜、最初〜、もとき、行けるか」。誰がトップバッターになるか、打ち合わせは全くありませんでした。どちらかといえば、他の子の発表の様子や周りの反応を見てからにしようと思っていたので、「嘘やろ」という思いでした。体は硬直し、とてつもなく重いものが両肩に乗っているような感覚になり、聞こえていないふりをしました。すると「もとき、いこ!」と再び声をかけられ、さすがにしらばっくれることはできなくなって、重い体を持ち上げるように立ち上がりました。前に置いてある演台まで歩いていくのも、とても重く感じました。演台に到着し、ズボンの後ろポケットから作文を取り出す手は震えていました。一瞬、その姿を笑う子たちもいましたが、そこに反応できない私の姿に、何かが違うと察してくれ、待ってくれていたたようでした。

 読もうと決意するまで相当な時間を要したように思いました。後に聞いたところ2分もなかったようです。とてつもない長い時間に感じた2分の間に、恐怖感みたいなものを抱きながら、でも「信じよう」と奮い立たせ、3回ほど大きく深呼吸してから読み始めました。周りの子たちの反応は一切、視界に入ってこなくて、ただただ知ってほしいことを、自分の言葉で体を震わせながら読んでいました。読み終わり、席に戻ると、一人の子が肩をポンと叩いてくれたのを覚えていますが、それが誰だったのか、振り向けなかったこともあり、今も思い出せません。続けて9人それぞれが作文を読んでいきました。最後はAでした。先生たちが打ち合わせた順番でした。Aは最初、演台に立つなり、泣き崩れました。十数人もの加害者を前に、当然のことだったと思います。悔しくて、辛くて、誰も助けてくれなくて。

尊敬したAの姿

 言葉にすればよかったと後に後悔したのですが、心の中で「A、頑張れ」と言い続けていました。先生たちは、無理かもしれないと思ったと言います。でも、Aは数分、泣き崩れた後、落ち着きを取り戻し、大きく深呼吸をした後、作文を読む前に、女子生徒たちに向かって「私が何したん?なんで避けられやなあかんの?なんで無視されやなあかんの?あかんとこあったら言うてよ。どんだけしんどかったか。学校へ毎日行きたくなかった。本当にやめてほしい。」、台本のない、その場で発したストレートな言葉でした。周りの反応より、Aのことをずっと見ていました。Aは、また深呼吸し、作文を読み始めていきました。40人が、保育園から出会い、10年以上、同じ学舎で過ごしながらも、10人の本当の姿や思い・願い、暮らしを初めて知る時間でした。

 作文を一通り読み終えた後、先生はAの姿を見て泣いていた涙を拭い、40人に語りかけます。「今の作文を聞いて、なんでもいい。返してあげてほしい」。呼吸の音が聞こえるほどの静けさになりました。当時、私は「裏切られたんちゃう、これって」と思い始めました。「これだけの覚悟を持って望んだ作文、伝わることを信じて書いた作文に、誰も何も反応してくれへん。終わりや」。沈黙の時間は何十分にも感じました。実際は3分ほど。「もうこの教室にいたくない」と飛び出すために立ち上がろうとした瞬間、保育園から一緒だった友だちが静寂を破るように手を上げました。立ち上がると、この子はすでに目を潤ませていました。そして、「差別は本当にあかんと思いました」と語りました。当たり前の言葉です。誰でも言えそうな言葉です。一見すると軽いようにも思われる言葉です。でも、この子のこの時の言葉は明らかに違いました。

学年以上に学校が変わり始める

 後に、この言葉の意味を教えてくれました。「差別はいけないし、自分はしないと思っていた。でも、それをゴールのように思っていた自分の学習への向き合い方や関心の持ち方は、違っていたことに気づいた。仲の良いもっちゃん(私のあだ名の一つです)が、生活のいろんな場面で我慢したり、生きづらい思いをしてきたのを初めて知ったし、一番は差別を受けることに不安を感じているっていう言葉に、そう思わせていたのは自分であり自分たちだと思った。申し訳ないという気持ちとともに「部落問題は、部落の子の隣に座っている自分の問題」だと思った。でも、あの時はうまく表現できなくて、あんなことになった」。当時は、こんなことまで考えての発言だとは思ってもいませんでした。ただただ、「誰も何も返さない」中で、この子は一生懸命に応えようとしてくれた、その姿勢がとてつもなく嬉しくて、私はまた周りを気にすることなく、机に前のめりになるように泣いていました。この子の発言を期に「何も返さない」ではなく、「何かを返そう。でも、安易な言葉を返せない」と考えていた子がいたり、圧倒的多くの子たちは、「今しかない」と言わんばかりに、地区生10人それぞれが語った知ってほしかったことを語ることと闘っていました。

 この続きはPart4で。ご覧いただき、ありがとうございました。

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