小学校の総合学習の時間にゲストティーチャーとして話をさせてもらうことが講演などの中で最も多くあります。授業の行間になると、子どもたちが寄ってきてくれます。寄ってきてくれる子は、割と高確率で、さまざまな悩み事や困り事を抱えている子であることがあります。時には、ノーマークだった子どもが僕に、悩みなどを打ち明けてくれることもあります。そんな中で、出会った子どもたちから、いかに就学前で子どもたちや保護者に向けて取り組むことが重要なのかを教えられる、突きつけられることがあります。そんな子どもたちや保護者のことを紹介していきたいと思います。
「俺、ほんまは赤色のランドセル、ほしかってんかな」
こう語ったのは6年生のいわゆる男の子です。小さな時から赤色が好きで服はたいてい赤色が入ったものを選んできたようです。保育園の年中さんの終わりごと、保護者から「ランドセル」の話が出てき初めました。年長になり、4月に家族がランドセルを見に行くということでついていった際、とても素敵なランドセルに出会ったようでした。「これが欲しい」と一目惚れしたランドセルを指差したところ、家族から「それはやめとき」と言われたとのことでした。かなり粘ったのですが、最後には「大体、女の子が買うものやから、同じように見られたら嫌やろ?」と言われ、諦めざるを得なかったようでした。
6年生になり、人権学習の中で、初めて打ち明けたとのことでした。1年生から6年生の今まで、本当は赤色のランドセルが欲しかったという後悔や思いを引きずってこざるを得なかったということです。就学前の際に、保護者を対象とした人権学習や研修、啓発などが実施されていれば、この子は欲しかった赤色のランドセルで小学校に通えていたかもしれません。
「松村さんは、いつ、サンタクロースはこの世にいないと思いましたか」
こう質問を投げかけてくれたのは、トランスジェンダーの高校生です。生まれた時は、医師に体の性が男の子と判断され、保護者も男の子として育てていきました。3歳を過ぎた頃、自身の性に違和感を持ち始め、4歳の中頃にはほぼ確信していたように思うと教えてくれました。5歳になり、11月に入った頃、パパとママが「今年はサンタさんに何を頼むの?」と聞かれました。この子は「仮面ライダーのベルト」と答えたのですが、本当に欲しかったのは「リカちゃん人形」でした。この子はサンタクロース覚えたての間違いだらけの字で手紙を書き、保護者に見つからない場所に隠しました。心の中で強くサンタクロースさんに、「りかちゃん人形ください。お手紙を書いたので読んでください」と願い続けました。
12月25日は、偶然、休日でした。朝起きると保護者がデジタルビデオをまわしていました。「おはよう。上見てみ?」と言われ、頭を上げると、赤い包装紙に金色の紐で括られたプレゼントがそこにありました。「開けてごらん」と言われ、「ようやく一番欲しかったリカちゃん人形で遊べる」という期待感と、「パパとママ、驚くかな、ショックを受けないかなあ」という不安感が入り混じる中で、包装紙をあけました。そこにあったのは「仮面ライダーの変身ベルト」でした。「サンタさんは、パパとママだったんだ」と、この時、確信したとのことです。中学3年生になるまで、保護者に打ち明けることができず、男の子を演じ続けてきました。中学3年生になったある日、勇気を振り絞り、保護者にカミングアウトをしたところ、「今まで気づけずにごめんね」と返してくれ、受け入れてくれたということでした。
就学前の段階で、保護者への取組が展開されていれば、一番欲しかったおもちゃで遊ぶことができ、保護者の前で偽りの自分を演じなくてよかった状況になっていたかもしれません。
(自分のこと)「僕」ってよんだら「変」て言われてんけど
これは私の子どもの話です。仮面ライダーや戦隊モノが割と好きで、特に「鬼滅の刃」は非常にハマっています。鬼滅の刃のキャラクターに「時透無一郎」という、小柄ないわゆる「男の子」がお気に入りで、時透無一郎は自分のことを「僕」と呼んでいました。子どもは、時透無一郎の刀や服をサンタクロースに願い、プレゼントしてもらうと、ほぼ毎日家で服を着ては、ごっこ遊びをしていました。
5歳の時のある晩、子どもが私に「パパ、◯◯(自分の名前)、『僕』ってよんでいい?」と聞いてきました。私は「自分で決めたらいいから、好きなようによんだらいいよ」というと、「やったー。あかんかと思った」というので、「何で?」と聞くと、「だって、◯◯(自分の名前)、女の子やから」と返してきました。「そんなん関係ないよ」と伝えました。この時、結構迷ったのですが、詳細な説明をあえてしないでおこうと思いました。私が抱いていた予感は、見事に的中します。
次の日、子どもは嬉しそうに「僕」という一人称を連呼しながら保育園に登園しました。夕方、私が仕事を終えて家に帰ると、「おかえり」という言葉より先に、「パパ、お友だちに『変』て言われてんけど」と、その時のことを思い出し、やや泣きそうな表情で言いました。「何が変て言われたん?」と聞き返すと、「お友だちが、◯◯ちゃん、女の子やのに『僕』って変やでって。年長さんは、『やめとき』って言うてた」と言うので、「そうやったんや。それでどう思ったん?」と聞くと「悲しい」と言うので、「もう『僕』はやめるの?」と聞くと、「うーん」と悩んでいました。「どうしたい?」と聞くと「『僕』がいい」と言うので、「ほな、そうしよ。何にもおかしいことないよ。男の子だからとか、女の子だからとか関係ない。自分のことを好きによべばいいし、欲しい服やおもちゃも男の子っぽいものとか、女の子っぽいものって、本来はなくて、たまたまそれを選ぶ子が多いってだけ。パパがいいって言うてたとか、今パパがお話したこと、みんなにも教えてあげたら。」と言うと、「そうする」と言い、翌日、みんなに教えたと報告を受けました。保育園にもこのことは共有しました。
うちの子に限らず、本当は使いたい一人称を「男の子だから・女の子だから」と我慢している園児がいるかもしれない・いたかもしれない。欲しいおもちゃ、欲しい服を「男の子っぽい・女の子っぽいから」という理由で否定されたり、諦めたり、ダメなものだと我慢してきた園児がいるかもしれない・いたかもしれない。そう思うと、就学前で取り組まれていれば、状況は違っただろうと思います。
教えなければ、子どもは加害者になる。それはきっと誰も望んでいないからこそ
色のこと、服やおもちゃのこと、遊び、一人称、表現、特定の行動など、性を含め、多様性についてアプローチできることはたくさんあります。就学前で取組がなかったことで、ここで紹介したような子どもたちが実際に出てきているわけで、いかに積み上げていくことが大切かを教えてくれています。また、子どもたち自身も就学前で学ぶことができなかったことで、同性愛の子やトランジェンダーの子といった性的マイノリティが疎外感を抱かされ、時にいない存在として扱われ、時に「変」「気持ち悪い」「おかしい」といった見られ方や言葉を投げかけてしまうという「加害者」になってしまう状況も生まれています。何も教えなければ、人は簡単に差別者になる、それは低年齢から起きてしまうということです。
ぜひ、小学校や中学校、地域などからも就学前から保護者に向けて啓発したり、子どもたちとともに学んでいく機会を一緒につくっていけるよう、アプローチしていただきたいと思います。