ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」80 おとなによる子どもたちへの「マルトリートメント(不適切な関わり)」

 「マルトリートメント」という言葉には「不適切な関わり」という意味があります。欧米では「チャイルド・マルトリートメント」とも言われ、「子ども対する不適切な関わり」のことを指しています。公認心理師の川上康則さんは「教室マルトリートメント」という造語を用いて、学校の教室、つまり先生による子どもたちへの不適切な関わりがあることに警鐘を鳴らしておられます。本がありますので紹介します。以下の内容は、川上康則さんの著書等をベースにしつつ、私の経験や考えに置き換えるなどして書いてみました。川上さんが書かれた「教室マルトリートメント」を読まれることをおすすめします。

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 学校という場や先生たちは、子どもたちの成長や発達を支援し、社会を主体的に生き抜く力をつけてくれる場所であり、その立場であってほしいわけですが、それとは違った立場で、子どもたちへの高圧的な関わりであったり、場合によっては傷つけたり、自信を失わせるような指導のことを指すとされています。先生たちが、子どもたちを無意識・無自覚に傷つけてしまう、ネグレクトや心理的虐待に似た関わり方のことです。学校に限らず、家庭内でも同様です。

 私自身の経験や保護者さんたちが実際に聞いたり見たこと、先生たちもある先生の関わり方が気になっていたことの例を挙げてみます。

・特別支援学級の生徒や平均的な子どもたちよりも支援を多く必要とする生徒がいたとして、先生による全体指導がなかなか入らない、管理したくてもできない、言うことを聞かないといった状態に対し、「もういい」「勝手にすれば」「さようなら」など見捨てる言葉をかける

・子どもが自信をなくすような強い叱責や懲罰を課す

・先生が管理しきれない、集団指導が入らない、先生がつくった枠内に入れない子どもに罰則を与える

・先生が気に入らない子ども、先生が出すミッションをクリアできない子どもの話を聞かない、相手にしないような態度

・生徒たちを序列化し、能力などで非対等な関係性を構築することを助長する関わり

・支援を要する生徒に対し、必要な支援を行わない

・事実関係を確認せずに、感情的に頭ごなしに子どもを叱責する

・忘れ物をした時に、必要以上に叱責し、家へ取りに帰らせるなどを強要する

・ひらがなやカタカナ、漢字の「はね・はらい・とめ」を必要以上に指摘し修正させる

・子どもたちの頑張りを認めたり、褒めたりしない

・威圧的で高圧的な態度で、力で押さえつける・圧をかけるような指導や関わり

・いじめや子ども同士で傷つけ合うような問題が起きていても関与しない

などは、先生の指導的立場を放棄しているのと同じです。子どもたちの意欲を失わせるような対応が教室マルトリートメントにあたり、このようなことにおよぶ先生を何人か見たことがあります。

子どもたちにさまざまな悪影響が及ぶ

 1つめは、不登校や登校を渋りだす生徒が出てくるという影響があると川上さんは指摘されています。感受性の強い子どもたちの場合、教室が重苦しい雰囲気であることを理由に学校に行くのが嫌になってしまうことがあるとされています。

 2つめは、先生に気に入られた子は評価され伸びていく、その姿に保護者も喜ぶ一方で、そうでない子は先生に気に入られようとするという本末転倒な状態を強いられ、それでも振り向いてくれないと、自分は頑張っても報われないとなり、授業やそれ以外のことでも、意欲や向上心などを奪われていきます。生徒は、先生に放って置かれた、それは保護者にも当然知られることになり、対立にまで発展してしまいかねません。

 3つめは、子どもたちの中で、序列や上下関係が築かれてしまうことです。先生に気に入られる子、先生の中にある狭い枠内に入れる子は「できる子」で上の立場に、狭い枠内に入れない子は下の立場に置かれ、ひどい場合にはいじめが始まります。子どもたちの間に非対等な関係が築かれてしまうことを先生が助長しているということです。

 4つめは、学級の中で、生徒が生徒を監視するという状況が生まれてしまうとされています。例えば、先生が厳密なルールを設け、誰かがミスをする度に、そのミスを叱責すると、それが学級の中での「正義」になってしまい、「先生、あの子がこんなことをしてた」など、ネガティブな報告を先生にすることが良いと思い、行動するようになります。豊かな集団づくりと正反対の状態を先生がつくっているのに、集団づくりを目指し、うまくいかずに困るといった悪循環や矛盾です。

 5つめは、主体的に考え行動する生徒が育たなくなるということです。子どもたちは先生の機嫌を悪くすることのないよう、常に先生の顔色をうかがいながら行動するようになり、忖度することを学んでいきます。主体的に考えて行動しなくなってしまうということです。

マルトリートメントが起きる諸要因を考えてみる

 子どもたちの関係がうまくいかなくなることが不安である、何か問題行動が起きた時に大ごとになることが不安である、他の学年と比べられ、評価されてしまうことに不安があるなど、先生たちも、自分が誰にどのように評価されるのかを意識してしまうことがあるかもしれません。あくまでクラスの担任ですが、学校全体で全ての子どもたちを見ていこう、それは先生たち同士と先生たち同士で支え合おうとなっていくことが必要だと思います。「きちんとしたい・させたい」が故の教室マルトリートメントが生まれてしまうのは、担任の先生個人だけの問題ではないということです。自分だけで抱えず、誰かに相談すること・助けを求めることは、とてもハードルが高いことです。それを乗り越えられるのは個人の力もそうですが、先生たち全体の力も必要になります。

 家庭内においては、仕事や家事、育児等で多忙となり、自分の時間をとる余裕がなく、メンタル面でも疲れているような状況の中で、余裕がある時はスルーできたり、「こうしようね」と言った言葉がけができるのですが、子どもたちがいうことを聞いてくれないようなことがあると、必要以上に強く叱責したり、罰を課したり、何かで怖がらせてしまうような関わりや対応が生じてしまうことがあります。余裕のある子育てをしている保護者ばかりではないし、保護者自身が幼少期にマルトリートメントを受けてきたとしたら、それが今の子育てに現れてくることは珍しくないのかもしれません。大切なのは必要な知識をつけ、マルトリートメントをしてしまった時は、冷静になれた時に「ごめんね」と素直に謝ることができたり、自分が困ったり、こう願っているということを伝えられるようになっていくことが理想だと思います。

 おとなから子どもへのマルトリートメントについては、「非対等な関係性」が生じさせてしまうことも抜きにはできません。年齢が上ということもあり、上下関係がつくられやすく、高圧的な態度を取ることができたり、管理的な対応ができてしまうことにあります。「年下」が逆らってくると、叱責できたり懲罰を与えらることができるのは「特権」を持っているからです。偶然にも、子どもたち(年下)より少し早く生まれただけであり、その偶然を拠り所にする必要はありません。「目上」であろうが「目下」であろうが、関係性は常に対等なものとして、特に特権を有する「年上」が意識しなければならないと思います。

生徒を信じ、価値づけ・意識づけ・方向づけること

 大切なのは、生徒を信じることだと思います。私も忘れ物が多い生徒でした。忘れ物をすると、先生や親に叱責されました。「社会人になったらわかる」とか「おとなになって苦労しないように」「社会は厳しい」などと指導されたことを記憶しています。でも、圧倒的に社会の方が優しいです。最近、運転免許の更新に行きました。ボールペンを忘れた私に教官が二人もよってきてくれて、気持ちよく貸してくれました。忘れ物をしてしまったら、次は頑張ろうねと声をかけたり、どうすれば忘れ物をしなくなるか、生徒が工夫していることなどを出し合って、みんなで目標を達成しようとし、できれば褒める、喜び合う、そんな文化を教室の中に築いてほしいです。

 そして、忘れ物をしても、すぐに叱責せず、周りの子がどう動くのかを待ってあげてください。中央大学の池田賢市先生は、「学校で育むアナキズム」という本で指摘されています。

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 私の経験と解釈を重ねてみると、教科書をスッと差し出して、「見る?」と声をかけるなど行動できた子、筆記用具を忘れた子を見た時に「使う?」と声をかけるなど行動できた子が出てきた時は、貸してもらえた側が「ありがとう」と返すなど、肯定的な言葉が飛び交い、誰も嫌な思いをしません。先生は、そうした行動ができた子をきちんと評価し、クラスの中で全体に共有し、価値をつけ、意識づけをして、全体を方向づけていくことが必要だと思います。「ありがとう」「明日は忘れないようにね」「また忘れたらいってね」という文化です。

 他にも、就学前から必要なことですが、例えば、誰かがつまづいてこけた時、まずは先生がロールモデルとして、泣いたり痛がったりした子がいたら、どんな言葉をかけ、どんな行動をすることが大切かを見せます。それ以降は、同様のことが起きた時、先生が先にしてしまう前に、周りの子どもがどう動くのかを見守ることが大切だと思います。すると「大丈夫?」と声をかける子、砂や汚れをはらってあげる子、保健室に行こう、水道のところへ行こうと声をかける子などが出てくるのを待って、実際にそのような行動につながった時に、先ほどのように肯定的に褒める、いかに大切なことかを価値づける、全体に意識づけ、方向づけるということが、集団づくりや人権教育のベースになると思います。

 教師と生徒という関係、保護者と子どもという関係、年上と年下という関係において、「教師・保護者・年上」が意識しないと「非対等な関係性」がすぐに作り上げられてしまいます。「人権」のことに限らず、私たち人類の基礎基本は、どのような条件下や属性を有していようとも、関係性は「公正」で「対等」だということです。この基本原則を忘れることなく、身につけて子どもたちに関わっていってほしいと願っています。

 ご覧いただき、ありがとうございました。

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