ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」82 「講演先あるある?」③ 「講師は特別な存在ではありません」

 講演先の学校などで、遭遇してきた「ん?」と思うような場面や出来事を挙げてみました。松村個人の感想なので、他の講師さんに適用できるとは限りません。「とりせつ(取扱説明書)」のようなものだと思ってもらえればありがたいです(笑)。「人権講演会」だけではないと思いますが、僕はぜひやめてほしい、改善してほしいと思うことを並べてみました。

体育館が講演会場になると、学校がやたらと生徒をやたら「きれい」に整列させたがる。(「前へなれ」とか、「横の間隔を均等に」とか、「真っ直ぐ並べ」とか)

 なぜ、「きれい」に整列させたがるのか、よくわからない。講演後、学校に提案しているのは、例えば、偶数列の生徒が横にずれるなどして、スクリーンや講師などを見やすくなるようにする。これなら整列する意味がある。

生徒に講演を聞く体制として「体育座り」なるものを強いる。

 まず、「体育座り」なるものを先生がやっているところを見たことがないし、特に冬場、冷たく硬い床に座り続けるのはかなり苦痛なので、「楽な姿勢にして」と、必ず解除するようにしています。足を伸ばしたり、胡座をかいたり、生徒が聴きやすい姿勢がベストだと思う。たまに、解除しすぎて寝そべる生徒が出てくるが、たいていすぐ辞める(笑)。

暑い時には扇風機、寒い時には暖房が講師にだけ特別、用意されている。

 いつもやるのは、即効で電源を切るか、生徒に扇風機や暖房を向けるようにしています。講師だから特別というような、非対等な関係をつくりたくないし、何よりも僕が生徒に妬まれるのを避けたい。生徒に向けると「いい人」と思われる。「ただの講師」です。

寒い時期に、生徒が制服の上に防寒着を着ることに許可を求めてきたり、ひざ掛けなどを使用して講演を聞くとなった際、「失礼な服装で申し訳ない」的なことを言ってくる。

 何の問題もない。先生たちは厚着をしているし、講演する側も温かくないと僕の場合は、寒さに気を取られるし、呂律が回りにくくなる。誰がどんな格好や服装をしていようと基本自由だと思っているので、防寒着を着たり、膝掛けを使用することに異論を持つ人みたいに思わないでほしい。

先生が「君たち(生徒さんたち)のために、お忙しい中、講演にきてくれた」的な紹介をしてくる。

 忙しい時は確かにあるけど、日を調整して講演に来ているので全く問題はないし、学校によばれたので行っているのであって、そもそも生徒には多忙であろうがどうであろうが関係がない。「君たちのため」というより、差別や不平等をなくしたいから、できれば変わってほしい、苦手な講演を頑張っている。差別や不平等をなくすためには、有効な仕組みをつくる必要があり、そちらの調査や研究、政策提言などに重きを置いている。講演など目立つようなことは苦手なので、仕事でなければ、まずやらない。

講師紹介で「先生」と紹介してくる。

 僕は「先生」ではない。人に権威を持たせるような表現や扱いには反対の立場なので、僕が求めているような感じで「先生」と呼んでほしくない。とても居心地が悪くなるので、やめてほしい。「ただの講師」です。

「講師が自分のことを話をしてくれたんだから、何かを返すのが礼儀だ」的なことを言い、生徒に圧をかける。

 学校から自分の体験などを話してほしいと依頼を受けたので話をした。生徒は言いたいこと、聞きたいことがあれば言うだろうし、学校が求める「感想用紙」なるものに書いてくれたりするので、教師が強いることではない。そもそも、何かを返すことを礼儀だと思ったことがない。

講演終わりの拍手の強要。(講演終わりはまだ何とか我慢できるが、再度とか改めてとか、僕にとって最悪なのは、感謝の意を込めてやお礼の意味を込めてなどの強要パターン)

 講演終わりに自然発生する拍手をもらった時はお礼する。僕自身が講師に拍手する際は、「長時間お疲れ様でした」的な要素が強く、「とても理解できた」「素敵な気づきを与えていただいた」など敬意を表する場合が多い。ただ、司会者が「それでは再度に、今一度、講師の松村さんにお礼の意味を込めて拍手をお願いいたします」と再び拍手を求める状況になると、途中で遮って「もう、やめてください。みなさん、解散してください」などと言い、場を閉めるようにお願いしている。させられてる感の拍手は、とても居心地が悪くなってしまう・・・。

を一度も聞いてくれたことがないのに「ためになる話をしてくれる」というような前振り

 人のためになる話をしに行っているわけではない。たいて、後半グズグズになり、フィニッシュも不発で終わるため、講演後は常時メンタルがやられている(笑)。

 昔から目立つことは基本苦手で、講演などは仕事などでなければ、好んでしたい方ではありません。できれば地元で話をするのは避けたいのが本音です。同級生や友人・知人の前で、その人たちの子どもや孫に向けて講演する恥ずかしさやハードルの高さは半端ないし、お世話になった行政の方、教員や保育士さん、まちづくり協議会の発足時に事務局をしていたので、校区の地域住民の人とたくさん知り合いになったので、そのような人たち、地元住民等々の前で話すのは公開処刑に近いです。ただ、求められる限りは続けようと思うし、職場の後輩が育ってきており、徐々にバトンタッチしていっています。

 ご覧いただき、ありがとうございました。

4件のコメント

  1. 「講師の先生」と言う言葉もこそばくなるし、日本語的にどうなのかとも思うことがありますが、講演会のシナリオ自体がパターン化していますよね。私は講演後の質問タイムが嫌で嫌で今日は、久しぶりのポポの講演で近江八幡市に行ってきます。お互い身体に気をつけていきましょう

    1. 本当にそうです。形骸化している点も否めないので、自分の言葉で司会や進行をしている子どもたちに見習いたいですね。
      質問タイム、私の場合、基本何も出ないことが9割以上で、本当に聞きたいことがある人は終了後に近寄ってきていただけますからね。
      ポポさんの講演、お疲れ様です!

  2. あるあるの自分への反省と笑いと共感。笑

    考えさせられました。。。

    熱いので体調に気を付けて下さいね。

    ともにがんばりましょう。

    追伸:いつも講演前は記事を読んで共感し勇気をもらって講演しています。笑

    1. 方くん、コメントありがとうございます。
      「あるある」ですよね笑
      日々、どこへ行っても猛暑なので、方くんも体調にはお気をつけください。
      ともに、がんばりましょう!!

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