「人権・同和」や「部落差別をはじめとする、あらゆる差別」という表現を用いると、自治体や学校、啓発や教育団体が部落問題だけを重視し、他の問題と序列をつけているように思えるので「同和」「部落差別をはじめとする」を削除するべきだ、削除したほうがよいといった意見が出ているようで、このことに関して、「自治体としては大切にしていきたいが、どうすればいいかアドバイスなどが欲しい」といった相談・依頼などを県内外の自治体職員の方から受けています。
解消傾向にある側面があるのは確かです。しかし、取組が届いていないところに届いていない、マイノリティに調査やヒアリングをすれば公になっていない差別の被害が明らかになってくる、不動産取引で今なお根強い差別や、インターネット上の差別投稿など、解消に向けて取り組まなければならないエビデンスが明確である一方、人権行政や人権教育の中で総体的に部落問題解消の取組が後退し、このままでは差別が悪化してしまうといったことに危機感を抱かれており、何とかしたいという自治体職員さんや先生たち、関係者の方々の意向を受けて、私ならこうするかなという内容を書いてみました。参考にしていただければ幸いです。
「同和地区」とは何か、おさらい
「同和地区」とは、部落差別の対象とされてきた地域を指す行政用語であり、劣悪な住環境や住民の脆弱な生活基盤の安定・向上のための施策を展開するために事業の対象として指定したエリアを「同和地区」としました。単に部落、あるいは被差別部落とも呼ばれています。
1965年に出された同対審答申では、「集落をつくっている住民は、かつて「特殊部落」「後進部落」「細民部落」など蔑称で呼ばれ、現在でも「未解放部落」または「部落」などと呼ばれ、明らかな差別の対象となっているのである。また「未解放部落」または「同和関係地区」(以下「同和地区」という。)の起源や沿革については(後略)」としています。なお、「同和対策事業対象地域」と「同和地区」は一定独自であり、同和対策事業が開始される以前から「同和地区」という呼称は使用されています。
2002年3月31日をもって地域改善対策特別措置法は、同和対策に関する法律であり、特別措置であったため、恒久法ではなく、いずれ期限が来ると失効する時限立法として、失効を迎えました。この法律が施行するに至るスタートは、1965年の「内閣同和対策審議会答申」であり、1969年に「同和対策特別措置法」が制定され、33年間、法律の名称を変えながら、目的達成のためにさまざまな事業が展開されてきました。
この特別措置法は、住環境や住民の生活水準が差別によって劣悪であり、経済的・文化的・社会的に厳しい生活状況を強いられ、収入や就労、進学などが自治体平均と比較して著しく低い実態に追いやられてきた特定の地域を「同和地区」と指定し、住環境の改善や住民の生活基盤の安定・向上を実現するために、さまざまな施策が講じられてきました。
1996年5月17日に、「地域改善対策協議会」は「同和問題の早期解決に向けた今後の方策の基本的な在り方について(意見具申)」(地対協意見具申)を出しました。そこには「同和対策審議会答申は『部落差別が現存するかぎりこの行政は積極的に推進されなければならない』と指摘しており、特別対策の終了、すなわち一般対策への移行が、同和問題の早期解決を目指す取組みの放棄を意味するものでないことは言うまでもない。一般対策移行後は、従来にも増して、行政が基本的人権の尊重という目標をしっかりと見据え、一部に立ち遅れのあることも視野に入れながら、地域の状況や事業の必要性の的確な把握に努め、真摯に施策を実施していく主体的な姿勢が求められる。」としました。「内閣同和対策審議会答申」の内容は、すべて実施・達成されたわけではなく、答申の完全実施に向けて現在もなお取り組んでいるため、特措法で指定してきた同和地区が法の失効とともになくなったわけではないことは明らかです。
国として地区を指定し、特別対策を展開するための法的根拠は無くなりましたが、地方自治体独自で地域の実態に応じて、独自の施策を展開している自治体も一部にありますが、そうした自治体においては、生活実態調査などを実施し、特別措置で解消できなかった課題が、現在も横たわっている「エビデンス」を明確にした上で、未だ格差があること、差別の遠因による影響が今もあるため、その解消に向けて取り組んでいるのであり、自治体の平均にまで引き上げることが主な目標となっています。
つまり、「同和地区」という名称を現在も使用することは何ら問題なく、元々は「被差別部落」と呼んでいたため、そのような名称を用いても問題ありません。
政府の正式見解としての「同和地区」
「令和4年版 人権教育・啓発白書」は政府で閣議決定された白書であり、正式な政府見解になるものです。白書では「部落差別(同和問題)」とし、「部落差別(同和問題)は、日本社会の歴史的過程で形作られた身分差別により、日本国民の一部の人々が、長い間、経済的、社会的、文化的に低い状態に置かれることを強いられ、同和地区と呼ばれる地域の出身者であることなどを理由に結婚を反対されたり、就職などの日常生活の上で差別を受けたりするなどしている、我が国固有の人権問題である。」としています。
法務省のホームページでは、 「部落差別(同和問題)は、日本社会の歴史的過程で形作られた身分差別により、日本国民の一部の人々が、長い間、経済的、社会的、文化的に低い状態に置かれることを強いられ、同和地区と呼ばれる地域の出身者であることなどを理由に結婚を反対されたり、就職などの日常生活の上で差別を受けたりするなどしている、我が国固有の人権問題です。」としています。
国として、同和地区は存在し、同和対策事業の対象地域という扱いではなく、推進法で明文化された部落差別は現在もなお存在しているという、まぎれもない事実をもとに、部落差別を今も受けている地域であるということが明文化されており、「同和地区」が存在することを政府が正式に示しています。
「同和行政終結宣言」を出した自治体の重大な問題
自治体の中には、特措法失効後に、「同和行政終結宣言」を首長が打ち出し、一切の事業をやめたところがあります。意識調査や、何よりも生活実態調査を実施し、差別意識の存在、差別被害の存在、特措法時代に施策を実施してきた中で、取り組むべき課題が解消されたのか否か、エビデンスを元にして判断されたものではなく、「政治思想」によるものでした。終結宣言が出された地域に住む住民の方々と出会い、また友人もいますが、部落差別は「なくなっていません」。今も部落差別があるにも関わらず、首長や自治体はそれを無視・無化しているという点で、結果的に「部落差別の存在を容認する宣言」であり、極めて罪深いものです。人生そのものへの被害をもたらす差別に、自治体が加担しているわけです。そして、被害を受けたマイノリティに、差別解消の責任を押し付ける、あってはならない事態が起きています。他のマイノリティに関して、この自治体は「終結宣言」を出していない、それは何故なのでしょうか。
そもそも、人権教育啓発推進法や部落差別解消推進法が施行されている中で、自治体が法令を完全に無視することなど言語道断です。コンプライアンスの遵守を市民や事業所などに求める立場にありながら、自らそれを放棄している矛盾など自治体にあってはなりません。自治体が法令を無視すれば、自治体として体をなしません。
「同和」「部落差別をはじめとする」という文言をめぐる動向
各所へ出張などに行かせてもらうと、「人権・同和課、人権・同和政策課、人権・同和教育課、人権・同和教育研究会」などの名称から「同和」という文言を抜いた方がよいといった意見があるということに関して、相談などを受けることが以前からあります。他にも、「部落差別をはじめとするあらゆる差別」といった文言から「部落差別をはじめとする」を抜いた方が良いといった意見もあるようです。こうした意見がいけないことではないことを前提にしつつ、何故、このような文言を自治体の課・室名や任意団体などが採用してきたのか、このような意見に関して、自治体はどのような見解を示せばよいのでしょうか。
「同和」という文言は法律用語・行政用語です。内閣同和対策審議会答申や特別措置法などで使用され、これが自治体の課室名や団体名に採用されてきました。
法律用語・行政用語を採用してきたので、今後は、「同和」を「部落差別の解消の推進に関する法律」に基づき、「部落差別解消推進」を採用していけばよいでしょう。実際に、大分県内の自治体では、すでに「人権・部落差別解消推進」という名称を自治体の課室名に採用しています。「同和」を削除するのではなく、「部落差別解消推進」と名称変更している自治体がすでにあります。自治体によっては、「部落差別をはじめとするあらゆる差別の撤廃に関する条例」など、条例の名称として「部落差別をはじめとする」を採用しているところもあります。何かの計画や新たな、あるいは改正する条例などに文言を使用する際は、「既存条例の名称をそのまま採用している」ということで十分説明がつきます。
「エビデンス」は何なのか
仮に、「では、その『部落差別をはじめとするあらゆる差別の撤廃に関する条例」の名称などを改正する必要がある」という「意見」があったとします。何度も言いますが、「意見表明」は自由です。その上で、では、条例の名称等を変更すべき「立法事実」は何なのかが議論になります。法令が制定される、改正される際には、必ず「立法事実」となる「エビデンス」が必要になります。改正等をすべき「エビデンス」が不明確な状況の中で、「意見」を出すことは表現の自由であり、保障されるべきであり、意見することに全く異論はありませんが、「意見」で法律や条例を改正するようなものではありません。
「部落差別をはじめとする」や「同和」の文言が削除されたとして、それで差別の解消や人権問題解消の本質や政策について、何がどのように影響するのか、重要なのは問題解決に拍車がかかるのかどうかでありますが、どのようになると主張しているのでしょうか。何かが変わるとした場合、それはどのようなエビデンスを元にしているのでしょうか。
差別の軽重をつけているわけではない
「部落差別をはじめとする」を採用してきたのは、部落差別が「日本固有の歴史性の長い差別問題」であるからです。このことは、決して部落差別が他の差別問題より重いということではなく、序列を付けるものではないはずです。そもそも、序列をつけているような自治体があるのでしょうか。私は知りません。
部落問題解消の営みからスタートし広がりを見せてきたからこそ
自治体の人権問題や差別問題の解消に向けた取組の歴史は、部落差別撤廃の営みからスタートしてきた事実があります。そして、部落問題解消の取組を軸に、あらゆる差別の撤廃にも当然ながら取り組み、さまざまな成果を上げてきました。全国の自治体をみても、部落解放運動が展開されてきた自治体には「人権担当課」があり、人権・同和行政や人権・同和教育行政が実施され、さまざまな差別問題や人権問題の解消に向けた条件整備や事業展開が行われてきています。部落問題だけを取り組んでいるのではなく、さまざまな差別問題の解消に向けた取り組みが展開されています。一方で、部落解放運動のない自治体では、部署に「人権」という名前のつく課室がなく、人権問題や差別問題解消の取組が非常に弱い状況が多く見受けられます。
自治体の基本姿勢として、あらゆる差別の撤廃に寄与してきた日本固有の問題である部落差別解消の営みを軸としたあらゆる差別撤廃の営みを、今後もより効果的に差別撤廃に有効なかたちで邁進していくということを明確に打ち出していくことです。
自治体は審議会や委員に丸投げするのではなく、こうしたことを整理し、明確にし、毅然と主張していけばよいということです。
ご覧いただき、ありがとうございました。