ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」91 保護者さんたちの経験や認識から見える「部落問題認識あるある」への返しのテンプレ

 保護者さんに向けて部落問題に関し、ともに学び、ともに解決に向けて取り組もうと44年間、地元で取り組んできています。私が生まれる前から取り組まれている「部落問題を考える保護者の集い」を進めるにあたり、毎年度、4つの園、3つの小学校、2つの中学校の保護者さんに事前アンケートを実施しています。その中で、毎年度、必ず出てくる部落問題に関して気になる意見や認識が明らかになっています。あまりにも続くため、テンプレのようなものを用意しておくことも必要ではないかと思い、書いてみました。

1 「部落差別は今どのような状況にあるのでしょうか」→「現在もなお部落差別が存在している」を具体的に

 「今も部落差別はあるのですか?」。この問いかけは毎年、しかも複数回、アンケートで見たり直接聞いています。部落差別解消推進法の第1条には、1行目に「現在もなお部落差別が存在している」とされていますが、このことを客観的な事実をもとに認識できている市民や保護者は残念ながら多くないだろうというが私の印象です。部落問題に限らず、差別の現実を「個人的な感覚や実感」で捉えられてしまっていることに直面させられます。社会構造の問題である差別の現実は、客観的事実、具体的な事実に基づき判断していく必要があります。

 差別などは人生そのものに被害をもたらします。過去に傷付けられた、恥ずかしい思いをしたなどの経験は今も鮮明に覚えていること、そのネガティブな体験にさまざまな影響を受けたことなどと重ねて考えると、今は確かに被害を受けていないけれども本当に過去のこととして処理して良いものかなどを考えていきましょう。

2 「何故、部落問題を学ぶ必要があるのでしょうか」

 わたしたちは、法律や規則などで定められている「基準」にそって、「基準」に縛られながら、仕事をしたり、車を運転したりしています。差別や人権に関しても明確な基準があり、責務があり、決して軽視してはいけません。これは交通ルールなどを守ることと同じことです。

 これまでも、今も、保育園や小中学校、高校、大学などで教えていないことが本来あり法律がある以上、あり得ないことであり、今住んでいる自治体や学校がやりすぎているのではなく、他のエリアが法律を遵守せず、取り組んでいない、取り組んでいても弱い、内容が残らないなどの質的・量的な問題があるということです。

 無くさなければならない部落差別の現実がある。

3 「差別とは何なのか、実はあまりわかっていません」

 これは今もなお、「差別とは何か」について学校教育で学ぶ機会は多くないのではないかというのが私の「印象」です。

1)差別とは「社会構造の問題」であり、「制度、慣習、慣行、観念」の問題です。

2)思いやりややさしさを持つことは大切ですが、それでは差別はなくなりません。

3)差別を受けない特権(努力や実績とは関係なく、偶然持ち得た属性が多数派にあることによって、自動的に得られる恩恵や優位なこと)から考えることが大切です。(意識しすぎでは?気にしていない、知らなくても済んでいく、関心がない、と思える恩恵と、そうではない状況に置かれるマイノリティが被る不平等)

4 「部落差別のことや部落のことを初めて知りました」

このことの意味や、差別のことを知らなかったことでどのような結果が起きていた・起きるのでしょうか。

1)2で紹介したように、学習などを実施していない学校や自治体の中に、法律を遵守していないところがあるという問題があります。

2)無意識の偏見や無意識の差別など、自分では気づかない・気づけない、悪意や意図のない差別をしてしまっている可能性があります。

3)差別をなくす責任を、差別を受けている側に押し付ける結果となってしまいます。(いじめ問題などから考える)(生の声を、当事者の声を直接聞かないと本当にわからないのでしょうか。気持ちを知るのではなく、置かれている状況や構造を知ること)

5 「寝た子を起こすようなことはしないほうがよいと思います」

1)憲法、国際人権諸条約、国内法や条例では、教育や啓発などの「責務」が謳われています。「やらなければならない」「取り組むことが当たり前」という「基準」があります。取り組んでいないことは法令に反する状態になります。

2)差別は、社会構造や制度、慣習や慣行の問題であるため、そもそも寝ている性質のものではありません。コロナ禍の差別のように潜在化している差別や偏見は利害によって差別的に起きるということです。

3)無意識の差別を含め、正しいことを知っておかないと差別する側、差別を支える側にまわってしまいます。

4)日本は「いわゆる解放令」以降から全国水平社の創立に至る半世紀間、「寝た子を起こすな」を実施してきた結果、差別をなくす取り組みの蛇口は閉められたままで、差別や偏見が伝達されたり流布されたりする蛇口は開きっぱなしになってきました。このことも差別が今も存在する要因となっています。

6 「同和地区や出身者を対象に、改良住宅の低い家賃設定や同和奨学金制度などが展開されてきたと聞いています。正直いって、ずるいのではないか・優遇されているのではないかと思うのですが」

1)見えることからわかることは限られていること、知ろうとしないと、なぜ、事業が実施されてきたのか、いるのかを認識できません。現象面として現れる事業や事業後の結果については、その事業が講じられるエビデンスがあるということ、国や政府、自治体が事業を実施する以上、事業が必要な事実があるということです。

2)過去を知ること、平和に関しても、戦争などの歴史から学び現在や未来への教訓にしてきたことと同様のことで、明治以降から今日にかけての被差別部落の状況を知る必要があります。

3)法律などが施行され、事業が展開される際には、必ず立法事実となる現実やエビデンス(根拠)があり、高校進学や収入などが自治体平均と比べて著しく低いなど深刻な格差と、学校にまともに通えず、非識字者がつくられてきたこと、安定した就労に就職差別と非識字などの影響があいまって最低限度の生活を送ることができていないなどの課題が山積していました。

7 「部落問題は、いつからどのような理由で始まって、どのような歴史性があるのでしょうか」

1)近世における部落問題について

2)近代における部落問題について

8 その他、よくある意見

1)被差別当事者の生の声を聞きたい。

2)部落問題を知らない、差別の現実を知りたい。

→自ら「学ぶ・知る・気づく」を放棄していませんか?本を読む・視聴覚教材を見る、自主的に研修に参加する、有益なコンテンツを視聴するなどできることはたくさんあります。

→被差別の側に差別の原因はないのに、人前で体験談を語らせることが当たり前になるなどして、差別解消の責任を負わせていませんか。

→マイノリティこそ、マジョリティの生の声を聴きたいと思っていたりします。自分たちのこと、差別のことなどをどのように捉えているのか、理解者なのかそうでないのかなどです。

→被差別の側が自らのマイノリティ性や体験談を語る・公表することのリスクが考慮されていないのではないでしょうか。

3)差別を受ける側でないから気持ちがわからない

4)差別を受ける側ではないから何をすればいいかわからない

→「気持ち」は人によってそれぞれなので、誰かの体験を聞いたからといって、それが他の同様の属性をもっている人と同じとは限らない、一人称です。そもそも「気持ちの理解」も大切ですが、知るべきは社会の構造や制度などのことと、それがマイノリティにどのような影響・不利をもたらしているのかということを学び、どうすれば変えられるのかを知ることこそ重要です。

5)長年の取組で改善されているのか

→これは、マイノリティこそ知りたい内容です。マイノリティは、自身のマイノリティ性を意識させられるが故に、国や自治体、学校などがどんなことに取り組んでいるのか、自ら知ろうとしましょう。

6)マイノリティの友だち・知人がいる

7)マイノリティでも気にしない・関係ない

→マジョリティ側が一方的に知っているというだけで、部落問題で話ができていない、部落問題についてどのような考えにあるのか、わかっていないのではないでしょうか。

→自分はそうでも、相手は部落問題などについて話がしたいけど、タイミングがなかったり、理解者かどうか見極められていなかったり、変に思われたらと不安に思っているかもしれないといった、相手はどうなのかを考えていくことが大切ではないでしょうか。

→関係ないし、気にしないが、言えない状況をつくっているかも。

→友人が傷ついていたり、不安な思いをもたされていることに「関係がある」や「気にしていける」関係を子どもたちはめざしています。

8)特定の地域が被差別部落であることを知り、「変に」意識するようになった。知らなければ、このような思いや見方を持つことはなかった。

→それを「偏見」と言い、「差別性」を含むものです。他の例で考えてみると、あなたの友人がいたとして、その人から自分は同性愛だとカミングアウトされたので、「変に意識するようになった」「関係がおかしくなった」、「特定の国にルーツがあることを聞いてから、距離を置いている」などを考えれば、すぐに「おかしい」わかるもの。誰かがマイノリティ性を有していること、どこかの地域が歴史的につくられてきた被差別部落であることを知ったとして、そこで差別が生じない社会をめざしています。

9)「みんな平等・一緒だから」特別なことをする必要はないと思う。

→「特別」な施策を講じないといけない状況にあったこと、今も課題が残されているため、取り組みを講じないといけないことを知ることが大切です。見えるものから得られることは限られています。バックグラウンドまで丁寧に認識していかないと「必要なこと」をやっているのに、「特別で他の地域では実施されていない不当なこと」と捉えてしまいます。マジョリティの特権を学び、スタート位置の不平等も学びましょう。この社会はまだまだ、必要な人に必要な政策が展開されていません。

 ご覧いただき、ありがとうございました。

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