ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」96 旧ジャニーズや宝塚歌劇団の問題と同じ構造である「スポーツハラスメント」

1.スポーツ界におけるハラスメント

 子どもたちがスポーツの現場で、暴力や暴言、ハラスメント、差別などの被害に遭い、安心・安全にスポーツをすること、楽しむことを阻害される現実があり、それは「スポーツハラスメント(以下「スポハラ」という)」と呼ばれ、深刻な子どもたちの声が挙がってきています。ハラスメントの構造は深刻・複雑であり、被害者である子どもたちは声を挙げにくい構造に置かれます。ゲストティーチャーとして招かれた学校で、スポーツの話に触れると、サッカー、バレー、野球などの少年団に入っている子どもたちから、「監督やコーチからこんなことをされた・言われた」など、スポハラの具体的被害が聞こえてきます。しかし、学校で言えても、被害が発生している現場で「いやだ」「やめてほしい」「おかしい」と言えないこと自体が、問題の本質であり、構造的な問題であるという証です。指導者と子どもたちの間に作用する力関係によって、声を挙げられないことにより、問題は深刻化していきます。

 子どもたちにおよぶスポハラの実態を把握し、スポハラを停止・予防・軽減するなど、早急に再発防止に取り組むことが求められています。

2.スポハラの具体的な被害

 スポーツハラスメントは、現時点では法的な定義はありません。しかし、パワーハラスメントやセクシュアルハラスメントと同様に、深刻な人権侵害として具体的な被害が発生していることから、「何がスポハラにあたるのか」を定義する必要があります。これまで、子どもたちが被害を受けてきた内容は次の通りです。

・不必要に体を触られた

・性的なメッセージを投げかけられた

・物を使って叩かれた

・殴られた・はたかれた・蹴られた

・外見(見た目)で評価された(デカい身体をしているくせに。小さいんだから等)

・「アホ・バカ」といった言葉を投げかけられた

・「お前はいらない」「やめてしまえ」といったことを言われた

・練習や試合でミスをした際「そんなこともできないのか」「何をやっているんだ」と言われた

・過剰に食事を強要された

・水分補給を制限された

・試合に負けた・指示に従わなかったなどを理由に、罰として行き過ぎたトレーニングを強要された

・負傷中なのにトレーニングを強制・強要された

・罰として短髪や坊主頭にさせられた

・試合や練習時の声が小さいなどを理由に練習や試合に参加させられず立たされた

・「外国人」「女」などの属性を理由に差別的な扱いを受けた

・他のメンバーからいじめを受けており、そのことを監督などは知っているにも関わらず、何もしてくれなかった 等々

 こうしたもの以外にも、ハラスメントが起きていることが考えられます。スポハラによって権利を侵害され、楽しいはずのスポーツが嫌いになったり、夢や希望を絶たれて辞めることになったりするなど、子どもたちの人生そのものに被害を与える「人生被害」が長きにわたって発生し続けています。

3.被害者が声を挙げられなくなる抑圧構造

 スポーツハラスメントは、旧ジャニーズ事務所に所属していた未成年の子どもたちが受けた性暴力や宝塚歌劇団でのハラスメントなどの問題と同じ構造にあります。どのように被害者や保護者が声を挙げられなくさせられていくか、どのように抑圧構造が働いてしまうのか、具体例をあげてみます。

1)「選手やチームを強くするためには、時に暴力も必要である」という指導者側の旧態依然の考え方がアップデートされていません。「企業などにおけるパワハラ・セクハラ問題をスポーツの世界に持ち込まれたら、チームを強くすることができない、子どもたちの能力を高めることができない」と考えている指導者は、肌感覚ですが、今も一定数いると捉えています。指導者からは、有名選手や自分の経験などを持ち出し「こうしたことに耐えてきたからプロ選手になれた・うまくなれた」などを主張し、スポハラを正当化することがあります。過去にスポハラの深刻な被害が報じられたことなどを受けて、スポハラに関する社会的関心が高まり、スポーツ関係者からも問題をなくそうと取り組む状況がありますが、現在もなお「暴力を我慢しているだけ」の本質を理解できていない指導者がいる可能性は高いです。実際に、講演などの際に「そんなことを言われても」と抵抗感を示す人たちと出会っています。

2)「勝利や優勝に導いてくれる監督やコーチのことを悪く言うことをしてはいけない」という子どもたちや保護者らによる指導者への忖度があります。「一生懸命やってくれているのだから」「ボランティアでここまでしてくれる人はいない」といったことや、「言うことを聞いておけば、強くなれる・優勝できる」と信じ、指導者の行為を問題だと思いつつも、否定的に評価することが「悪」といった価値観にとらわれていることがあります。また「暴力行為は問題だが、監督やコーチは悪い人ではない」というグルーミング的な感情が芽生えることがあります。監督やコーチが同じ学校で親しくしている友だちの保護者で、普段はとても「良い人」である場合、こうした感情を抱きやすくなります。

3)「(保護者の側からすると、子どもが。本人も)やりたいことをやらせてもらっている」という力関係に始まり、「なかなか自分の意見を言えない内気な子なので、スポーツで自己主張できるような力をつけたい」「よく風邪を引いてしまうこともあり、強い体になってほしい」という保護者の想いや願いが作用するため、暴力に対し、声をあげにくくなったり、子どもに我慢を強いるようになることがあります。雇う側と雇われる側、教える側と教えられる側、お願いされる側とお願いする側といった関係性が非対等に機能することは多くあり、子どもの希望や目標、意欲などを考えると、だまっておくしかないと思わされるということです。耐えるか辞めるかの二つの選択をせまられます。

4)「指導者の行為に声を挙げたり、逆らったりすると、気に入らないとなって、レギュラーからはずされるのではないか、レギュラーにしてもらえなくなるかもしれない」と不安を抱くと、レギュラーをめざす子、はずされたくない子たちは、指導者に忖度せざるを得なくなります。

5)「みんなも我慢しているから自分も耐えないといけない」などの「集団心理」が働きやすくなります。辞めたり休んだりすると、周りから「弱い」と思われるかもしれない、ジェンダー意識を内面化している子どもたちも少なくないなか、「男なのに逃げたと思われたくない」という心理が働き、黙って耐えることを余儀なくさせられることがあります。

6)子どものことに熱心で、勝利や優勝することに執着している保護者のなかには、指導者への批判や暴力の告発などを許さない人がいます。子どもが大切で、優勝などをさせてあげたいという強い願いが、その「邪魔をするような行為」となる告発などを許さないと言わんばかりの圧をかけるということです。保護者や関係者らによって、子どもたちへの暴力を矮小化・無化しようとする強い動きが働くこともあるとされています。

7)被害を告白した際の、メンバーや関係者の反応への不安や恐怖、大会などへの出場断念となることなどへの罪悪感などが声を挙げることを躊躇させることがあります。「あの人が警察や教育委員会などに相談したから、大会に出場できなくなった」と思われたり言われたりすることを避けたいと思うと、告発できなくなることがあります。無関係な人たちに迷惑をかけてしまうのではないかということも躊躇となって働きます。同じチームメイトが、どれだけ勝利や優勝のために努力してきたかを知っていれば知っているほど、その目標や夢を奪うことになるかもしれないと、声を挙げなくなることも起きていきます。

4.問題発生の主な要因

 何故、こうした問題が発生し、今も続いてしまうのか、3で紹介したような構造とともに、要因を考察してみました。

1)長年にわたる暴力による指導という慣習が未だ継続中であることです。「こうすることによって力がつく・結果がついてくる」と信じている人たちが暴力をやめないということです。子どもたちを自分の管理下に置き、圧力をかけて指示に従わせる。それで優勝や勝利などの「結果」が出ると、「自分のやり方は間違っていない」と正当化させ、慣習が継続してしまうということです。

2)暴力に対し、「なにくそ」精神で立ち向かおうとする「強い」精神が勝利を引き寄せるという、古く歪んだ「根性論」を今も信じる人たちがいます。1と同様に自分を信じてやまない人たちがいるなか、暴力に頼らなくても、子どもたちの自主性を育てることで結果がついてくることがあるなど、指導方法や考え方をアップデートできていないことが要因です。

3)1や2は、指導者に対する圧倒的な研修不足です。指導者としての資格をとるためには人権やハラスメントの研修を受講しなければならないといったしくみをつくれていません。スポーツ協会や文部科学省、教育委員会において、研修などの取組が弱いことによって、こうした事態を招いている側面があります。

4)勝利や優勝など期待に応えようとする、子どもたちの目標を達成させてあげたいと思う、他のチームの指導者と比較されること(可能性含む)による、スポーツマルトリートメント(仮称)が発生しやすくなります。マルトリートメントとは、「身体的、性的、心理的虐待及びネグレクト」のことであり、日本では児童虐待に相当すると定義されています。WHO(世界保健機関)のチャイルド・マルトリートメントの定義は、身体、精神、性虐待、ネグレクトを含み、従来の児童虐待より広範囲な意味で使われています。子どもに外傷や精神疾患を負わせることだけではなく、おとなの気分で叱りつけたり、子どもの前で喧嘩をしたりと、子どもに悪影響を与える不適切な行為を全て含んでいます。勝たせてあげたいというものからはじまり、保護者らの評価を意識すると結果を出そうと圧をかけることがあったり、他の指導者と比較されることでも結果を出さないといけないとなって、マルトリートメントが発生することがあります。

5)スポーツの世界では体の接触やともに生活する場面が日常よりも多くあります。ストレッチ、テーピング巻き、体の動かし方の指導などです。問題が発生すると加害者側からは、「ストレッチしていた」「テーピングを巻いていた」などが理由として持ち出されることがあります。圧倒的に「いわゆる男性」指導者が多いということも、社会構造の表れであり、男性指導者による女性アスリートへの暴力が発生しやすいのは、こうしたことも要因となっています。指導者に男性が多いのも構造の表れです。

6)児童虐待防止法はあるものの、スポーツ界への影響が弱く、虐待防止に有効機能していません。法律で「児童虐待」の定義は、「保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)がその監護する児童(18歳未満の人)」とされており、指導者が保護者に入っていないという解釈があるようです。スポハラの指導者も対象となり、子どもたちへの虐待などが防止される新たな法律の制定や現行法の定義を広げることができていないことにより、行為に歯止めをかけられていません。

7)相談窓口や対応窓口が認識されていない・整備されていないこと、窓口があっても限定的でスポーツ少年団、教育委員会などからも、窓口について周知されていません。

5.問題の解決をめざして

1)指導者の資格取得制度や育成過程などに人権研修を必須化する必要があります。研修内容には、ハラスメント、マルトリートメント、子どもの権利、人権の基礎基本、マジョリティの特権、アンコンシャスバイアス、マイクロアグレッションなどが必要です。

2)あらゆるハラスメント防止及び人権を正しく理解するための啓発チラシの配布等による、あらゆるスポーツ関係者、保護者らへの周知徹底をはかることが求められます。

3)スポーツ協会や少年団等で「人権方針」を策定し、具体的で計画的に取り組まれるしくみが必要です。

4)すべての子どもたちに対し、あらゆる教育の場で、主権者教育や権利に関する学習が実施されるようシステム化する必要があります。自分の身におきたこと、まわりでおきたことが権利侵害であると認識することができる確かな知識が必要になります。

5)児童虐待防止法がスポハラの防止にもつながるような改正や施策の推進などが必要になります。また、対応するための法施行など、子どもたちをハラスメントから守るための有効機能するシステムが必要になります。

 こどもの権利条約を具体化するために、おとなが果たすべき役割は他にもたくさんあります。条約を知り、ハラスメントを知り、自分が問題が生じる構造とどのような関わりがあるのか、自分の立ち位置はどこかなど、自らに引き寄せ、主体的を持って解決に向け、取り組んでいきましょう。

 ご覧いただき、ありがとうございます。

2件のコメント

  1. 体育会系ではないのに前任校で少し男子バスケ部の副顧問をし、マネージャーの子たちをはじめ部員が礼儀をもって接してくれたことを思い出します。よく躾けられているという感じがしていました。顧問の前ではペコペコしているのに大人しそうな先生や後輩に横柄な部員のいるクラブもこれまで多く見てきて、そういうのは馴染めませんでした。生徒に甘く見られがちな私がそうした先生たちには悪く言われたりしたこともありましたが、人はそれぞれなのでスルーしてきました。とはいえ職場の仲間ですから、おかしいことはおかしいと言わず、棲み分けみたいにスルーしてきてよかったのかと思っています。いつも自分にとって内容が濃いです。うまく整理されていて言語化されているのでボーッとした私のアタマにもすーっと入ってきます。ありがとうございます。

    1. コメント、ありがとうございます。
      学校や教職員、指導者の管理下に置かれ、従順であることをよしとし、理不尽な扱いを受けていても、我慢することが善であると「躾」られた子どもたちを、私も見てきました。一人ひとりが権利を行使でき、権利が守られるようにしていきたいです。

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