ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」97 シン「人権教育」へ 「人権問題を身近なこと、自分ごととして受け止めるためには何が必要?」part2

 この仕事をはじめてもうすぐ20年、「人権」の捉え方、認識、教育・啓発におけるさまざまな課題に直面してきています。私は、幼少期から「同和教育推進校」とされてきた小中学校に通い、今の自分のベースになるものを身につけてもらいました。教育は人権問題や社会問題の解決に重要な役割を有しています。さまざまな機会で行われる人権教育の教育内容が差別の解消、人権問題の解決に有効に機能するものであってほしいと願い、それを実現するために何が必要であるかを見出すために、この間、研究等にも携わっています。一方で、私自身の加害性について学生時代や前職では気づくことができなかったことが、これほどまでにあるのかと自分のスタンスを問われる場面が、とてつもなく多く、私自身の課題は何であるかを問われ続けています。

 これまで経験してきた人権・同和教育、現在展開されている人権・同和教育、それぞれに成果があり、また課題があります。何を継承・発展し、何をアップデートしていけばよいのか、あれやこれやと考えていきたいと思います。以前にも、「人権問題を身近なこと、自分ごととして受け止めるためには何が必要?」というタイトルで書いていますので、こちらも参考にしてください。

1 「マイノリティ依存型・負担型」の人権教育

 これまで同和教育推進校といわれてきた学校を中心に、マイノリティ性のある子どもたちがアイデンティティを形成し、自身を特定のマイノリティ性を有する存在として認識しはじめ、あるいは受け止め、差別や人権侵害の歴史や現状、運動などに関して学習し、差別被害を受けることへの不安感などを抱いてきた児童生徒が、同学年のマジョリティ性を有する児童生徒に対して、自分のマイノリティ性に関わる社会問題についてその存在や不当性を知ってほしい、ともにどうすれば解決できるか考えてほしい、ともに問題を解決する行動をとってくれる個人や集団になってほしいなど、願いや思いを発信する機会が用意され、発進によってマジョリティ性を有する子どもたちが、マイノリティ性を有する友だちの不安を知り、差別の存在と不当性を知り、ともになくしていこうとする態度の形成につながってきたこと、高校生以降の人権活動にマジョリティ性を有する子たちが人権活動に参画するようになっていくなど、成果をあげてきました。

 しかし、この方法は、マイノリティにとっては かなりの負担となっています。まずカミングアウトをマジョリティ性を有する友だちにしなければならないこと、願いや思いを発信していかなければならないこと、周りの友だちがそのことをどのように受け止めるのか、子どもによっては強い不安を抱きながら発信をする必要があります。マイノリティからの発信を、マジョリティが丁寧に自分のこれまでや今とつなげ、課題意識を持って受け止めてくれれば良いのですが、決してそうとはならない状況はないとは言えず、マイノリティ側がかなりのリスクを背負って行う必要があります。

 これは未だ、人権・同和教育の到達点として採用され続けている取組ですが、この内容だけでは一向に広がっていかないのは言うまでもなく、実際に県内では、同和地区を有さない学校における優れた部落問題学習の実践などは人権教育の大会や実践報告の場などでも、ほとんど報告されていないことに、この方法の限界が現れていると言えます。

 マイノリティが差別被害の経験や差別を受けることへの不安感、社会における不公正とは何かということなどをマジョリティに語らなければ、人権教育が成立しないなど、あり得ません。現在においても、市民や保護者だけでなく、児童生徒のなかにも、マイノリティの語りや体験を「評価・査定」するような受け止め方が未だ存在しています。マイノリティは考えすぎ・気にしすぎではないか、被害意識が強いのではないか、何を伝えたいのかわからない、被害を受けた内容は本当に差別なのか、そもそもその話は本当なのか、具体的に何をしてほしいのか我々マジョリティにわかりやすく具体的に語ってくれないと自分は何をどうすればいいかわからないなど、マイノリティが発信する場などでも被害を受けるということが実際に発生してきています。

 マイノリティが置かれている状況を知ってほしいと発信し続ける状態を当たり前にせず、マジョリティがマイノリティの語りを聞くに足りうる基本的な認識を小学校の低学年から積み上げていかなければならず、何よりも取組を講じる側の教職員が、その認識を持たなければなりません。マイノリティの語りを聞く側が、自身のあり方を問い、これから自身はどうするべきか、社会をどのように変えるべきかなどを前提に置く必要があります。

 また、マイノリティ性を持っていたとしても、マジョリティ側の属性をたいていの人は持っているため、無意識に加害の側に立っていないか、誰かを傷つけてきたことはないか、今はどうかなど、加害性への気づきと自覚を持つことからはじめていくことも必要です。そして、差別はその多くが悪意や差別的な意図がないかたちで起きる問題であり、そうした差別の構造や差別の起き方などを知っていくことで、考える視点、向き合う視点などがあるべき方向へとつながっていくと思います。

2 平等と公正

 児童生徒が人権学習で学習してきたことに関し、「マイノリティに平等に接する必要性を感じた」といったことがつづられることがあります。まず、「接する」といった表現が権力側に自分が位置していることを無自覚に表現しています。「接してあげる感」というメッセージが発信されており、すでに非対等な関係の上位にいることを認識できていないということです。

 「平等」をどのように捉えているか、そもそもマジョリティとマイノリティの圧倒的な差異をどこまで認識できているかが問われます。

 2022年度に県立学校の生徒を対象に、部落問題に関するアンケートを実施した際、「被差別部落の人だけ特別扱いするのは不公平だ」という意見について「そう思う」「どちらかといえばそう思う」をあわせると42.0%となっていました。インターネット上では、こうした意見がよく見られるため、その影響を受けている高校生もいる可能性は高いですが、とはいえ4割に及ぶ結果の多くは、同和対策特別措置法に基づく事業内容などを認識していないと考えられます。

 では、何故これほどまで「特別扱いをするのは不公平だ」と肯定する回答が4割以上に及んだのかについては、「誰かに特別なことをすること自体が差別だ」という認識を有している可能性が高いことが考えられます。このような認識がベースにあるなかで、奨学金制度のことや住環境の改善にかかる特別対策の話題が届けば、「結婚差別などはいけないが、特別に優遇するようなこともやってはならないので廃止する必要がある」といった見解へとつながっていきます。

 上の絵のような、不公正に置かれた人たちの存在や差別の現実等を一切見ることのないまま、「平等に接することが必要」と主張している可能性のほうが高いと考えられます。学習が不十分な場合、絵で例えると同じ身長の人が3人いて、人生のスタートラインや持っている特権の量、保障され行使できている権利の数が平等なのに、ある属性を有する人には箱が2個用意され、ある属性を有する人には箱が3個用意されていると捉えるなどして、「ずるい」「利権」「優遇」「特別なことをしている」という認識のもと、逆に不公正を訴えるようになっていきかねません。

 上の絵のように、努力や実績とは無関係に、行使できる権利の量の差、差別によって権利が侵害されている現状、権利が行使できない現状など、容易には見えない構造的な差異を正確に捉えていける認識が必要になります。

3 人権問題を自分事として捉えるとは何をどうすること?

 これまでの人権学習において、「自分事」として捉える視点は、「相手の立場になって考えること」「相手の気持ちを考えること」が強調されてきました。しかし、実際に、全くの別人格で生まれ育った環境が違う人と「同じ立場で考えること」は容易ではなく、そもそも人の気持ちなど簡単に推し量れるものでもなく、構造としてマイノリティが共通して置かれる状態があっても、その受け止め方は当然ながらマイノリティにとってもさまざまで多様であることが当たり前だが、例えば一部のマイノリティの体験談などを聞いたマジョリティが、マイノリティをステレオタイプに捉えてしまうことは割と起きる。きょうだいや保護者など、多くの人にとって近い存在の人たちであっても、同じ立場になること、気持ちを考えることはできたりしても、それが本当にきょうだいや保護者の思いなどと一致しているかはわかりません。さも、わかったようになって思考が停止している状態となってしまい、事実とズレていても修正することなく、これはよいこととして、「相手の立場になって考える」が今も根強く現場にはびこっています。

 これまで、運動を進めてこられた人たちの一部から、マジョリティに向けて「差別に対して怒りを持たなければならない」と主張されることがありました。まず、その思いは否定されるものではないということを抑えておきたいと思います。その上で、ただ他者から言われて、怒りや憤りを感情を抱くことができるとは思えません。それはある種、自然発生的なものがあるのではないかと思います。また、怒りや憤りの感情が芽生えたとして、そのこと自体、否定されるものではありませんが、課題だと思うのは、その感情を抱いた時、自分はマイノリティの味方であるとなって、マジョリティ側にもいる自分が見えなくなってしまうことはないかということです。マイノリティに不利や不公正が及ぶ構造に自分は加担していなかったか、そうした自覚や課題意識が横に置かれた怒りや憤りの感情には、「(加害の側・抑圧の側にいる・差別構造に加担している)当事者意識の欠如」という課題があるのではないかと思ってしまいます。

 差別や人権問題に関して、自分がマジョリティの側にいる場合、マジョリティという当事者性をもって、その人権問題を捉えることが重要です。

 自分事にするとは何をどうすることなのかについて、自分がこれまでどうであったか、今はどうなのか、これからどうするのかを問うこと・問われることが必要です。例えば、

1.マイノリティが被っている差別や不公正について、何故、今までそのことを自分は知らなくても生きてこれたのか。

2.知る機会や学ぶ機会があったにも関わらず、無関心ではなかったか。そもそも無関心でいられたのは何故か。無関心であったことで、マイノリティはどのような状況に置かれ続けてきたのか。

3.人権に関する本を読んだり、視聴覚教材やネット上のコンテンツを視聴したりするなど、知識を身につける方法があるにも関わらず、何故してこなかったか・やろうという行動に至らなかったのか。

4.これまで学習機会などを通じて知った人権問題を、どのようにして自分のこれまでや今と関連づけて捉えよう・考えようとしているか・考えるようにしてきたか。

5.これまでの自分はマイノリティが不公正や差別を被る構造に、無意識に加担する側にいなかったか。今の自分はどうなのか。

など、問いの立て方そのものを抜本的に変革し、自分に何ができるのかなどを考え、解決のために自分にできる行動にうつしていこうとしていくことが必要です。

 マジョリティの特権について学習していくと、これまでは「自分は、差別的な言動をマイノリティに対してしないよう、気をつけてきたし、心がけてきた」としても、マイノリティに対して差別言動を向ける人たちがいる社会、マイノリティに不公正や差別がおよぶ社会構造とは地続きであることは変わりません。自分はマイノリティにおよぶ不公正を強いる側、差別を生じさせる側に無意識に、結果として立っていたことに気づいていくことができます。

 差別は、その多くが明確な悪意がなく、差別的な意図もないかたちで行われることが多いものです。婚姻の自由を侵害する結婚差別問題や土地差別などの場合、被差別部落や出身者憎しで行われるというよりは、出身者と判断されたり疑いを持たれたりすることで、差別の矛先が向けられ、我が子の今や将来を案じて起きる場合が多くあります。出生前診断で障害があるとわかった場合、人工妊娠中絶を考えてしまうといった優勢思想などの問題もあります。悪意や意図がないからといって事案発生の責任が軽減されるわけではありませんが、これまで特に自分事でなかった人が、利害が生じたことで「自分事」になれば、差別はいけないとわかっていても、差別する側にまわる結果に至るということです。そうした自分のことを知られることを恐れず、避けず、逃げず、最悪避けたり逃げたとしてもまた戻ってくる、一人ではなく、さまざまな人たちとともに向き合い、闘うことが必要だと思います。こうした自分のスタンスを具体的に問われる場面が、研修等でも位置づけられていく必要があります。

 他にも、児童生徒と教職員は対等な関係にあるはずですが、頭をなでるような行為によって侮辱的なメッセージになっていたり、よかれと思って「女子には優しく接するべきだ」と発していても、それが結果として非対等な関係を容認し侮辱していたり、日本生まれ日本育ちの海外にルーツのある人に、ほめるつもりで「日本語が上手・箸の持ち方がうまい」と侮辱的メッセージを発信したりしてこなかったか、今やっていないと言えるか、児童生徒をはじめ、自分のまわりがやっていても容認してこなかったなども、自分事として捉える視点の一つです。

 これらのことに気づいた際には、私自身、罪悪感が襲ってきました。しかし、そのことに向き合う必要があると思っています。中高生に特権の話をすると、たいていが私と同じような罪悪感を抱いていきます。しかし、罪悪感で終わらせても結局は何も変わらないのであって、自分と同じように「差別に気づかず、スルーし、加担してきた」構造のなかで生きている人たちに発信することができます。また、子どもたちが私と同じような罪悪感などを抱かなくてもよいように、何よりもマイノリティに負担を課したり、差別や不公正を及ぼさないように、能動的に学び、自分がなすべきことは何かを考え、実践へとつなげることが大切です。

 ご覧いただき、ありがとうございました。

2件のコメント

  1. マジョリティ特権を学ぶ子ども向けプログラムを、どうやって作ればいいかなあと考えながら、読みました。

    1. コメント、ありがとうございます。
      中学生向け、高校生向けのマジョリティの特権の学習内容、研究していきたいと思います。

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