ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」98 人権リスクの発生を助長しかねない地方自治体のあり方

 地方自治体が発注する公共事業は行財政の悪化とともに、入札価格で競い合う方式のものが主流となってきています。事業費にはシーディングがかかり、どんどん価格安くなり続けている中でも、業者側は仕事がどんどん減ってきていることもあって、安い価格であっても入札に参加し、仕事をとる必要性が出てきています。従業員を遊ばせるわけにもいかず、かといって簡単に辞めてもらうこともできないため、何とか仕事をとろうとする事業者が出てくるのは当然のことです。今に始まった問題ではなく、以前から起きていることとして、問題点を指摘したいと思います。

生成される人権リスク

 自治体が発注する公共事業では、材料費、郵送料、移送料、印刷代、消耗品費、必ずかかる実費は、どの業者においても、仕様に基づいて算出すれば、大きな差が生じることはまず起き得ません。そうなると、どんどん減額していく公共事業を受託しようと思うと、「企画費」や「人件費」を削減しなければならなくなっていきます。安く見積もられ、低価格で入札した業者が落札することができるシステムでは、人件費をいかに抑えるかで儲けが出るかどうかということになっていきます。業者側は、いかに人件費を抑えるかを検討していくと、安い労働力を探すことになるのは当然です。退職し再雇用した低賃金で働いてくれるシニア層、パートやアルバイトで業務に当たってくれる学生や、これまでも低賃金で会計年度任用職員などに従事される層となっていきます。海外では、児童労働が発生し、無賃で子どもを働かせ、利益を出すような深刻な人権侵害が起きています。

 安い労働力を雇う余力もない業者の場合、いかに少ない日数で仕事をこなすかということになるのは当然のため、過重労働や強制労働などが書面上は出てこなくても、仕事を請け負って損をするわけにはいかないので、発生しやすい状況がつくられます。こうしたことを自治体が助長・誘発・煽動する結果となっているのが、現在の価格競争における入札制度です。これは、まさに「人権リスク」です。草刈りなどの業務では、シーズンによっては蜂に刺されるリスクがあるため、会社側が防護服などを用意しなければならないわけですが、そうしたものまでケチる業者が出てきてしまいます。自治体の仕事ではありませんが、とある事業所で働く臨時職の従業員が業務として会社周辺の草刈りをしていたところ、スズメバチに刺され、アナフィラキシーショックにより死亡するという「労働安全衛生」上の問題による取り返しのつかない事態が生じています。これも「人権問題」です。県内の運送業者では、いかにして運転手に多くの荷物を各地へ、しかも短期間で運ばせることができるかによって、利益に影響が出るとなると、会社の経営状況も影響し、過重労働・強制労働が発生するリスクが伴います。これも「人権問題」です。地方自治体は、こうした人権リスクを助長・誘発させていること事態に、無自覚である場合もあるのではないかと考えてしまいます。

経済対策や少子化対策などと矛盾する公共事業の大幅な減額

 多くの地方自治体は少子高齢化、人口減少に直面し、自治体の持続可能性を脅かす事態となっています。多くの都道府県では年々、出生率の低下が顕著となtっていることも公知の事実です。少子化となる原因には、さまざまな要素がありますが、その中でも「経済面」を理由とし、子どもを産むことができない、子どもは一人まで出ないと家計が圧迫されるといった声が多く上がっていることも公知の事実です。こうした経済的な理由を背景に子どもを産めない、子どもを複数人持てない家庭においては、収入を増やす、支出や負担を抑えること、減ることで、子どもが増える可能性が出てきます。このような状況にある中で、自治体は発注する公共事業の事業費をどんどん削り、受託した事業者に収益がほぼ発生せず、従業員の賃金を上昇させることが不可能になる状態をつくっています。極めて大きな矛盾です。行財政が厳しいため、職員を減らし、会計年度任用職員といった官製ワーキングプアを増やし、公共施設を次々と閉鎖し、市民サービスを削減し、発注する事業費もどんどん減額していくのは、ただのジリ貧に他なりません。

 バブルの時代、いわゆる男性労働者は働けば働くほど収入が増えることが確定していたような時代の中で、わずかなお小遣い程度で十分生活をしていけるということで妻や子どもには、パートやアルバイトなどでわずかな賃金しか支払われていませんでした。しかし、バブル崩壊後も、この状態が維持され、それに公が乗っかるようになり、今日のような不景気や賃金が上がらない、物価等が高騰し支出が生活を圧迫するような状況となっていて、これも少子化の大きな要因なのに、ほぼ改善が見られず、むしろ会計年度任用職員は増え続けています。

 他にも、有識者やマイノリティ等を講師として招く際の講師料も同じです。そもそも、講演をするまでの間に積み上げてきたものがあるわけで、その対価が適切に支払われているのか、それは評価と同等と言っても過言ではありません。「人権だから無償ボランティア」といった考え方は、明らかな間違いだと思っています。

価格で競い合う方法で、社会課題は解決できない

 自治体が抱える社会問題や人権課題などを解消するために、課題がどのように存在しているのか、課題が発生する原因や背景は何かを専門的知見から明らかにし、課題解決のための具体的な政策を提案してもらい、自治体の政策に反映するために、調査業務は存在しています。当然ながら、こうした調査業務には、高い専門性を有する人たちに課題を掘り起こすための調査項目を設計してもらい、集計された結果を分析されることが求められます。そのため、本来であれば、業務を発注する自治体が、人権リスクが発生しない額に設定し、専門家に依頼できる額などを確保した上で価格を決めてしまい、入札で競うのは「項目の質」「分析の視点の質」でなければなりません。ところが、自治体の持続可能性を脅かす社会問題解決のための調査事業を質ではなく、価格で競わせ、専門性をもたない業者が落札する状況が見られます。専門性がないところに仕事を発注する自治体のあり方は、本当に問題を解決しようとしているのか疑問を持たずにいられません。価格と質はセットです。

 何よりも、何のための研究者であり、研究機関であり、専門家であり、専門的組織なのか、そのことを地方自治体が軽視するようなことなどあってはなりません。

 ご覧いただき、ありがとうございました。

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