ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」103 今更ながら「ズートピア」を見たけど、こんなにも人権について学ぶポイントがある映画だったとは!

 子どもが胃腸風邪を発症し、家族全員に感染。回復までにかかった期間が長く、子どもが退屈し始めたことから、ふと映画を見ようと思い、「ズートピア」を見つけました。2016年の映画のようで、名前はなんとなく知っていましたが、内容は全く知りませんでしたので、観ることにしました。「これも」と思ったので、観て感じたことなどをあれこれ書いてみました。

 映画「ズートピア」の主人公はウサギのジュディ・ホップス(以下「ジュディ」という)です。ジュディは、警察官になることを夢見て、警察学校で訓練を受けます。これまで警察官を志望する動物は、トラやクマ、ゾウやサイなど中型以上の体型の動物ばかりで、ウサギの受験生は初めてです。「体格のよい」動物に向けてつくられた学校のため、ジュディには不利な条件ばかりとなっています。それでも「努力」によってトップの成績で卒業し、警察官となります。本来は「公正」なかたちの試験や環境をつくる必要があります。

 警察官として働くため、ズートピアに向かうジュディに、父母は都会に行くことや一人暮らしをすることへの不安などを伝えますが、ジュディは「一番怖いのは、理由もなく怖がること」と返します。また、父は「特にキツネはタチが悪い」というと、母も「それはそうかもしれない」と言います。ジュディは「キツネ全部がイジワルじゃないわ。性格の悪いウサギだっているわよ」と諭します。特定の属性で、人を評価することはできません。マイノリティへのステレオタイプや偏見などについて考えることができると思いました。

 警察官となったジュディは、警察署の中でも、椅子の大きさや高さ、草食動物であること、体の大きさ、いわゆる女性であるという属性がマイノリティであることを否応なしに突きつけられます。周りの職員は「マッチョな男性」ばかりです。14人の行方不明の捜索から外された理由は、「マイノリティだから」であることは明白です。日本では警察官のジェンダーバランスは、いわゆる男性が非常に多い状態にあること、また日本国籍を有している人にしか、警察官になるための受験資格が与えられていませんので、日本以外の国籍を有する人にとっては、努力や実績とは無関係に、入り口が完全に閉じている状態にあります。

 ジュディが警察署に初勤務した時、「クロウハウザー」という名前のチーターが受付を担当をしています。警察署で描かれている「マッチョな男社会」の中では、「異質」なキャラクターとして設定されています。いわゆる「男性」と比べて、いわゆる「女性」の方が多く所有しているような色やデザインのコップを持っていたり、いわゆる「男性」よりも、いわゆる「女性」に多いしぐさをするシーンもあり、「マッチョな男性たち」の中ではなく、その外側(受付)に配置されている可能性をうかがわせます。 クラウハウザーは、警察官として初めてウサギが勤務してくることを聞いており、ジュディを見るなり、「思ってたより、ずっと可愛いよ」と嬉しそうに言います。すると、ジュディは「あのね、ウサギは小さくてかわいいけど、だからって見た目で判断されるのは、あまり、その……」と返します。すると、「あー、そうか悪かったよ」とすぐに謝罪します。そして「ドーナッツ好きの、だらしない警察官って思われてる。これと同じだね」と返します。チーターはスリムな「イメージ」がありますが、クロウハウザーは、ドーナッツが大好きなようで、ふくよかな体型をしています。体型がふくよかだと「だらしない」、体が小さいと「可愛らしい」は、ルッキズムの典型です。クラウハウザーは警察署内でマジョリティでないわけではないものの、警察署内では、自身の言動や持ち物などによるステレオタイプを感じ取っているようです。「マッチョな男性」というマジョリティの中に入れない、外側に置かれてきた自分の経験や境遇と重ね、ジュディ(ウサギ・草食動物・女性)に対し、自分がやったマイクロアグレッションについて指摘された際、すぐに謝罪した・謝罪できたのではないかということがうかがえます。

 ジュディが駐車違反の取り締まりをしていたところ、キツネの親子を見つけます。動きが怪しいと感じたジュディは、親が入って行ったアイス屋さんに入ります。腰に下げたキツネ避けをいつでも噴射できる状態で、様子を伺っていました。ゾウたちが経営しているアイス屋さんに入り、アイスを買おうとしたのは、親子に扮した2匹のキツネの詐欺師、ニック(親役)とフィニック(子役)です。子どもがアイスをどうしても欲しがっているという設定で、アイスを買おうとするのですが、ゾウからキツネであることを理由に嫌がらせをされ、アイスを売ってもらえません。イライラしたゾウは「字が読めないなら教えてやる。サービスをお断りすることがございます」と言う場面があります。私としては、ジュディのニックに対する見方は、レイシャルプロファイリング(人種や肌の色、国籍などを理由に、捜査対象や犯罪の有無を判断する慣行)のようにも見えました。また、ゾウのニックに対する発言は、「非識字者」に対する侮辱です。

 ジュディは、ニックの協力を得ながら、一人の行方不明者を探します。その最中、ギャング(シロクマ)に捕らえられてしまいます。ギャングの屋敷に連れて行かれた際、次々に出てくるシロクマたちのことを「あれがMr.ビッグね!」とニックに聞きますが、そのことからもジュディは名前から、「大きな体の動物」であるという「思い込みや決めつけ」があることがわかります。本当の「Mr.ビッグ」は、小さなネズミでした。特定の情報でステレオタイプが働くことは、学習する機会のない人ほど生じやすいように思います。

 ジュディは肉食動物だけが凶暴化するという事実を、“生物学的な共通性がある”という客観的な視点で答えていたようですが、それが“多くの肉食動物を傷つける”という重大なことに気づけなかったのです。ジュディは、チーターのクロウハウザーが、せっかく受付の仕事を気に入っていたのに、肉食動物が凶暴化する報道とその影響を受けた人たちの声により、受付にはふさわしくないという理由で異動を命じられたことを目の当たりにします。ジュディは、世界をよくしたかったのに、自身の無意識な言動が多くの人の差別意識を生み出し、肉食動物たちを傷つけ、草食動物との間に分断まで生み出してしまったことをじわじわと認識していきます。無意識な言動は「無意識の差別」となったわけです。

 捜査の結果、行方不明となっていた動物たちが凶暴化していたこと、そして全員が肉食動物であったことが判明し、署長が会見し、ジュディが同席します。ジュディが解決した捜査員として、記者からの質問を受けます。野生化した動物、どんな動物か、いろいろな種類の動物だと答えます。わかっているのは全員、肉食動物、凶暴、原因はまだわからない。生物学的要素が関係あると。DNAについて、何千年前までは生き抜くために本能的に獲物を襲っていた。何らかの理由で凶暴な野生の状態に戻るかもしれない。同じことが起きる可能性があるとも言います。ニックの顔はみるみるこわばり、不安になり、ジュディに対する失望に変わっていくように見えます。会見が終わり、ジュディがニックに近寄ると、ニックは怒りや悲しさや失望をしているように思える態度を見せます。キツネ避けを持ち歩いている。ニックは、ジュディの深層心理にあるものを試すような投げかけをした際、ジュディは腰にあるキツネ避けを構えようとしました。差別意識などは、容易く解消されるものがあれば、そうは容易になくなってくれないものもあります。

 ジュディは、チーターのクロウハウザーが、せっかく受付の仕事を気に入っていたのに、肉食動物が凶暴化する報道とその影響を受けた人たちの声により、受付にはふさわしくないという理由で異動を命じられたことを目の当たりにします。ジュディは、世界をよくしたかったのに、自身の無意識な言動が多くの人の差別意識を生み出し、肉食動物たちを傷つけ、草食動物との間に分断まで生み出してしまったことをじわじわと認識していきます。無意識な言動は「無意識の差別」となったわけです。

 ガゼルが開いた「平和集会」は肉食動物(マイノリティ)の権利を守ろうとするためのものでした。しかし、会場にいたブタ(草食動物)が「おい、森へ帰れ!肉食動物!」とチーターに発します。完全に「ヘイトスピーチ」です。電車内のシーンでは、ウサギの親子の横に、トラが座りました。するとウサギの親は、子どもを自分の横に引き寄せ、トラを警戒している様子を見せています。外国人差別や感染症差別、「障害」者差別などを連想させます。

 ジュディは、自分の言動がここまでの状況を生んだことに責任を感じ、警察官をやめ、自宅に戻り、父母がやっている実家の野菜売りを手伝います。父母とともに野菜を売っていると、一台の車が止まり、そこから降りてきたのは、幼少の時、警察官になりたいという自分の夢をバカにし、ケガを負わせたキツネの「ギデオングレイ」でした。ギデオングレイトと父母は、一緒に商売をする関係になり、母は「あなたのおかげで、キツネに対する考え方が変わったの」と言いました。ギデオングレイは、ジュディに「やあ。俺、謝りたかったんだ。悪いことをしたね。ごめん、あの頃は自分に自信がなくて、それであんなふうに、ひどいことばかりしてしまってたんだ。本当、嫌なやつだったよ」と言いました。 ジュディは警察関係の中ではマイノリティ(体が小さい、女性、少数)ですが、ズートピア(社会)の中ではマジョリティ(多数)であることがわかります。

 差別意識や偏見は取り除くことや軽減することができます。思い込みや決めつけ、ステレオタイプは、今の社会では、たいていの人が持たされるものです。それは意識的なものよりも、圧倒的に無意識なものが多いため、能動的に学んでいくことで気づくことができます。無意識で悪意が無かろうと、偏見や差別だという指摘に対し、一度じっくり考えることも重要です。

 ジュディは、上司の命令に逆らい捜査を続けていたことがばれ、警察バッジを返すように言われますが、その時、ニックが助けてくれます。落ち込むジュディに、ニックは「傷ついてたら負けだぞ」と言うと、ジュディは「あなたは傷つかないの?」と聞きます。ニックは「小さい頃は、君みたいに、えらく頑張っていた」と言います。ニックは幼少期、子どもレンジャーになりたくて努力し、家族もニックを応援してくれていました。ニックは、肉食動物(キツネ)初の子どもレンジャーになりました。初日の集会で、他のレンジャーから「誓いの言葉を」と言われ、ニックは「勇敢で誠実で信頼されるレンジャーになる」と言いました。すると、周りのレンジャーたちは「でも、お前はキツネだろ」と言い、ニックをひどいいじめ、侮辱的な扱いをし、傷つけました。おそらくニックは、この経験だけでなく、成長過程でさまざまな差別や偏見、理不尽な出来事に遭ってきたことが伺えます。そして、ニックはこれまでの経験から2つのことがわかったと言います。1つは「何があっても傷つかないようにすること」、2つは「世界がキツネのことをずるくて信用できないと決めつけるなら、何をしても意味がないということ」。ジュディは「話してくれてありがとう」と言いました。

 出自やルーツなどの属性を理由に、その人自身の能力や人間性を判断することは不可能です。人を属性で評価することなどできません。しかし、世の中には、実際に自己選択できないことを理由に、入店や入居を拒否されたり、ヘイトを交えながら職業選択の自由を侵害するような問題が起きています。このような社会の差別や偏見によって、「自分たちはどれだけ努力しようとも、この国では、そのことを正しく評価してくれない」「この国は、自分たちを必要としていない」などのメッセージとなり、マイノリティに絶望や怒りなどを突きつけるものとなっていきます。そうすると、「自分は努力をしても意味がない」「まともな生活を送っていても意味がない」「せっかくこの世に生まれたのに、これでは生きている意味がない」など、自暴自棄の状態を生み出してしまうことにつながることがあります。「人・もの・こと」を見えるだけの情報だけでわかったつもりになる人は少なくないというのが、これまでの仕事で得た実感です。

 ジュディのマイノリティ性とマジョリティ性の両方が描かれている映画であり、非常に考えることの多い、人権学習に活用できることの多い映画だと思いました。

 最後に、ジュディの言葉を添えます。「自分を見つめ、自分を知り、自分を変えることから、全て始まる。私から、私たちみんなから」

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