ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」20 「カミングアウト」の次は、「アウティング」って何?

 前回、「カミングアウト」について書いたことに続き、今回は「アウティング」について書いていきます。前回の内容はこちらです。

 おさらいです。「カミングアウト」とは、自分が自分のタイミングで、自分が聞いてほしい・知ってほしい内容、秘密にしてきたことを、聞いてほしい・知ってほしい人に、打ち明ける行為をさします。

 では、「アウティング」とは何かについて、ABDARC(アブダーク:Anti-Buraku Discrimination Action Resource Center)「対鳥取ループ裁判支援サイト」では、次のように書かれています。

 「本人の了承なしに、公にされたくない秘密を他者によって暴露されること。セクシャリティの暴露という意味で使われることが多いが、部落問題においても、部落の所在地や部落出身者などを他者によって暴露する行為をアウティングと呼ぶ。」

とされています。

 また、「部落の所在地を明かす」という行為については、

 「部落や出身者への差別感情がまだ社会に現存する中で、部落の地名やそこに住んでいる人々の情報を暴くことは、結婚や就職、転居等における身元調査・土地調査などの誘因となる、差別誘発行為です。」

とも指摘されています。

 このアウティングは重大で取り返しにつかない結果を招く行為です。アウティングの被害を受けた人が自死に至る例が実際に起きています。

 何故、この人は自分に、その内容を「カミングアウト」をしたのかをしっかりと考えてほしいです。

 アウティングには、「どこからどこまでがアウティングになるのか」という議論が出てきます。

①親しい人を親しい人や信頼できる人に紹介するパターン

 例えば、親しい友人に、「あの人、◯◯にルーツがあるよ」「あの人は、◯◯だよ」というように、親しい人を信頼していることもあり、他に自分が親し区している人との距離を縮める、同じ属性を有する人だということで、本人の同意なく、親しいとは言え他者のマイノリティ性を教えるようなことは、日常生活の中で起きることがあります。

 私が経験していることで言うと、講演で知らない場所に呼ばれた時、接待をしてくれる人がマイノリティ性を有している人で、懇親会などの場で私の緊張を解いたり、初対面のメンバーとすぐに打ち解けやすいような「配慮」として、接待をしてくれる方が「あの人もそう」と教えられたことは1度や2度ではありません。それを聞いた私は、同じマイノリティ性を有する人なんだとわかると、妙に初対面なのに安心できるところがあって、気が楽になることは少なくありません。

 しかし、厳密に言えば、これは本人の同意を得ていないので「アウティング」になる可能性が高いと言えます。接待をしてくれた方が、その人にとって親しい人だとしても、そのことを知らない私に対して、本人の了承なく教えることは、基本的には避けた方がよいと思っています。ただ、暗黙の了解のように、「あなたが私のことを教える人だから、大丈夫だろう」みたいなことはあるので、先に同意しておくことがベターだと思います。

 直接のマイノリティ性だけでなくても、特定の人が所属する団体を教えることについても場合によっては、アウティングになるのかもしれません。しかし、専従で働く人であれば、所属は基本的に公の情報になるわけで、人によるということになるのかもしれません。

②マイノリティ性を明かしてマスメディアへの出演や講演をしている人の取り扱い

 マイノリティ性を有する人たちの中に、講演活動やマスメディアへの出演、執筆などをしている人がいます。この人たちは、自らマイノリティ性を公にし、テレビや新聞、雑誌やネット、子どもたちや市民の前で自らの体験談などを語っています。この人たちは、自ら公にしているため、本人の同意が必要なのかという議論があります。

 市民対象といった参加者が自由に参加できる、いわゆる不特定多数に向けて講演をしたり、マスメディアに出演したりして自身のマイノリティ性を明らかにすることで「秘密」ではなくなるのかどうかということです。

 まず、そもそも、この「公にする範囲や機会」よりも大切なことは、講演者や出演者のマイノリティ性だけを特出しして他者に伝えること自体に、どのような意味があるのか、どのような意味を成すのかを考えることが重要です。

 この社会に差別があり、その差別によって不利を強いられる人がおり、その不利は社会構造によってもたらされており、その社会構造は自身を含め、多くの人々によって支えられ、とりわけマジョリティは加担していることが多い、だから、その社会構造を変革するために自分にできることを考え、行動し続けることが求められているわけです。

 これまた、そもそも、マイノリティが自身の属性を公にすること、被差別体験などを明らかにすることは「リスク」を伴います。以後、自身のみならず家族を含め、差別を受けることが出てくるかもしれないということ、マジョリティの中には「被害者意識が強い」「被害妄想」というように、マイクロアグレッションよりも酷い被害を受けるかもしれないわけです。

 マイノリティの多くが自身の属性を明らかにできず、秘密にさせられている状況の中で、マジョリティが気づかないマイノリティに及ぶ不利を、「マイノリティを代表しているわけではない」ものの、一つの被害の形として、この社会に根ざす差別について、マジョリティに問いかける人たちが、自身のマイノリティ性を公にしているからという理由で、他者に属性を取り出して、差別被害はもちろんのこと、雑な扱いを受けることなどあってはなりません。

法律以前に考えなければならないこと

 「自治体が主催した講演会だから著作権は発生しない」、なので「マイノリティ性を有する講師の話を、主催者はもとより、本人に承諾しなくてもよい、どのような扱いをしてもよい」など「あり得ません」。

 「法律の立て付け」の話ではありません。マイノリティ性を有する講師の講演内容が、本人の承諾なく、取り扱われることで、私は法律家などではありませんが、このような被害や支障が出るのではないかと思います。

①今後、同様の扱いを受ける可能性があることから、講師として登壇等ができなくなり、表現や声を奪われる、職務として講演している場合、業績に支障が出る。

②これから社会やマジョリティに向けて、自身のマイノリティ性を発信するような人たちが萎縮させられ、人権問題解決の遅滞を招く。

③主催者である自治体にとっても、講演会で取り扱いたい講演内容を語る講師が来なくなるなど、業務への支障が生じる。

 自治体であれど、「録音・録画・二次利用禁止」とされているのだから、それを守るべきであって、そうしたことまで法律で制限をかけるほど「人はアホではない」ということだと思います。残念ながら、禁止されていても、何らかの理由をつけるなどして、やってはいけないことをやる人がいるのが残念でなりませんが、こうしたことが法律や条例の立法事実になるのだろうと思います。私の考え方としては、明確な「権利侵害」です。

 アウティングに関して、まずは部落問題に関する内容の本がこちらです。


 次に、性的マイノリティに関するアウティングに関する本はこちらです。


 ご覧いただき、ありがとうございました。

 

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