ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」29 生徒や参加者に綴らせる「感想」って何?

 総合の時間や人権講演会などで生徒と共に人権について学び、知識を身につけたこと、自分の差別性や偏見に気づき是正したことが人権学習のゴールみたいな学校が一定規模で存在することが仕事を通してわかってきました。

 まず、ずっと気がかりで、人権学習後の学校の取り組みに疑問を投げかけ続けていることがあります。それは学校側が生徒に人権学習後に、授業の内容について「感想」を書かすというものです。

 goo国語辞書では

「物事について、心に感じたことや思ったこと。所感」

とされています。しかし、この「感想」を生徒に課す学校では、「感想」の「単元」はありません。「系統的な指導」もありません。ただただ、生徒個々が「心に感じたことや思ったことを書かす」というものです。

 当然、凄まじい個人差が出ます。感じることがなかった生徒の感想は「よかったです」的な内容であったり、元々持論のある生徒は話もしてないことを書いてあったり、テープ起こしみたいにゲストティーチャーの話を書いてあるだけであったり、感動したみたいなことが書いてあったり。

 講師として招いたゲストティーチャーに、生徒が何をどのように感じたのかを返すことを目的に感想を綴らせることがあったとして、講師にとっては自己評価につながるかもしれませんが、生徒には、どのような意味を持つのかということです。

ゲストティーチャーの役割

 ゲストティーチャーにとっては、「今まで聞いた講演や人権学習よりもわかりやすかった」「全然、眠たくならなかった」「めっちゃのめりこめた」と「感想」に書かれていると悪い気はしません。ただ、それでゲストティーチャーは勘違いをしてはいけないと思っています。極端に表現すると「自分はよい話ができる」「人を感動させることができる」みたいな勘違いです。「感動させる」ことを目的とした取り組みの問題点は、こちらに書いています。

 普段、人権学習はどのような取り扱われ方をしているのかに明確な疑問と課題を持つべきだと思います。

 ゲストティーチャーとして呼ばれることが多い私としては、そうした感想は学校側にかなり課題があることとして、必ず問題提起します。こうした生徒の感想を、学校側がどのように受け止めているのか、どのような話が交わされたのか、それを持って何を課題とし、何を見直し、今後、どう改善していくのかということが明確になるのが、前述した生徒の「感想」に含まれているわけです。

 つまり、学校側が普段から生徒とどこで何でつながり、日常の授業で何を感じさせたいのか、生徒の何と向き合わせたいのかなどの明確な「ねらい」がないと意味をなさないということではないかと思います。この「ねらい」は生徒が誰にでも話ができるものではないことを学校側が捉えられているか、生徒から聞けているかとか、家庭訪問に行って暮らしを掴んだり、保護者の悩みや生い立ち、願いや思いに触れているのかによって導かれるものだと思っています。そうした具体的な「事実の積み上げ」の中で、感じさせたい、気づかせたいことが見えてきて、だからこの教材、こんな話をしてくれる人、こんな内容という取り組みが明確になってくるということです。

 こうした「事実の蓄え」と「ねらい」のない学校の生徒が綴る「感想」は、薄っぺらくなります。生徒の問題ではなく、学校や教師の側の課題です。講演後に送られてくる「感想」は、学校で選ばれた教科書のようなものばかりで、私にはおもしろみや深さなどを感じることができません。

 ちなみに自治体のアンケートには、酷いものがあり、例えば「講師の話」を評価するような「とても良かった 良かった あまり良くなかった 良くなかった」といった回答が用意されていることが少なくありません。めちゃ失礼だなと思っています。

 ファッションショーや何かの賞を受けるために講演しているのではないので、とても不愉快で腹立たしく嫌な気持ちにさせられます。人に評価されるために、時間や労力、費用を割いているわけではなく、差別をなくすために講演しているので、話を受けて自分はどのような差別意識や偏見を有していたのか、差別に対して自分は何をどうするのかを明らかにすることなどがあって、しかりです。

 「感想」が何に活かされ、どのように取り扱われているのか、単元や系統的指導がないからこそ、無駄にすることなく、有効な扱われ方となるよう、学校のみならず、自治体が主催する講演会なども取り組んでほしいものです。

 ご覧いただき、ありがとうございました。

3件のコメント

  1. 講演の後の感想の話、納得です。わが子が中学校でゲストティーチャーさんから人権の話を聞いて帰ってきて、「あの人の言うことおかしい。自分が差別してるやん。」と言っていることがありました。でも、学校ではそんなことは出せずという感じだったようです。私は一緒に話を聞いていないので、本当はどんな話だったのかな?と思いながら子どもの気持ちを受け止めるだけでした。学校でそんなことが自然に言い合え、お互いの考えをぶつけながら考え合える人権学習だったらいいなと思います。
    話の内容から外れたことを書いたかもわかりませんが、私の感想です。

    1. ありがとうございます。お子さんがそう感じ取ったことこそ、学校は大切にしてほしいですね。重要な問題提起にもなるわけで、そのことをまたクラスメイトと一緒に考えていくことができます。ゲストティーチャーをさせていただくことの多い身としては批判的な生徒の意見は大切にしようと思っています。

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