講演会や研修会などで事前アンケートをとったりすると、「あるある」と言っても過言ではない共通した考え方が「必ず」出てきます。昔からパターンは決まっていて、私は「テンプレ」みたいなものを確立しています。とはいえ、相手に理解をしてもらい、差別をなくす側になってほしいので、何を問題だとしているのかを書いたみたいと思います。
結論は、「マイノリティに聞くことを前提にしてどないすんねん」「自分で学ぼう・考えよう・行動しよう」です。
①マイノリティの生の声を聞きたい的なパターン
マイノリティの被差別体験や差別を受けるかもしれないという不安や悩みなどを、マイノリティから直接聞きたい、知りたいと考えること自体を問題にしているわけではありません。
例えば、直接聞く以外にも、本を読んだり、視聴覚教材を見たり、有益なコンテンツで学ぶなど、自らできることはたくさんあります。自分なりに知る・学ぶことを積み上げていて、それでもわからないので「聞かせてもらう」という基本姿勢が備わっていないといけないと思います。何より、マイノリティに被差別体験を語らせることが、「被害者意識が強い」「気にしすぎ」など、さまざまなリスクに直面するということが前提にないといけないと思います。
また、マイノリティの皆が皆、語りたいと思っているわけではありません。人前で講演などをする・できるマイノリティは、マイノリティの中のマジョリティです。学校の懇談会などの場で、マイノリティ性を有する保護者に「生の声を聞きたい」という語らせる圧力をかけることで、その場にいたくないと思わされた保護者がいました。
②差別の現実を知りたいとマイノリティに聞いてくるパターン
この考え方が悪いというわけではありません。問題にしているのは、マイノリティに語らせることを前提にしている考え方、「自ら学ぶ・知る」をしていないパターンのことを指摘しています。
マイノリティに語らせる前に、関係する本を読む、視聴覚教材を見る、動員以外で研修会等に参加し続ける、「Mの部屋」のような有益なコンテンツを読む(これは半分冗談です)など、自分で「差別の現実を知る」ことができるはずで、それを放棄してはならないわけです。
また、被差別の側がマイノリティ性や差別被害について語る・公表することのリスクが考慮されていないのは、大きな問題です。①のようなリスクもさながら、マイノリティ性を有する人と認識されることで、差別意識を有する個人から差別的な態度をとられる可能性が出てくるわけです。
③私はマイノリティではないので、差別される側の気持ちがわからないから何を考え、どう行動すればいいか教えてほしいとマイノリティに求めるパターン
これも①や②の解説通りです。差別はマジョリティがつくり出し、マジョリティが支え、マジョリティがしている社会問題です。なので、解決の責任はマジョリティにあり、マジョリティをただすのはマジョリティの役割です。ただ、マイノリティだからこそ見える・感じることがあるのは確かで、それは制度や慣習、構造により差別を受けているからです。①や②で示した基本姿勢を備え、それでもわからないこと、見えないことをマイノリティから教えてもらうという姿勢を持つことが求められます。
④長年の取組で差別は改善されているのかを聞いてくるパターン
①から③の解説をご覧いただければ分かると思います。差別をなくす取り組みを講じたことによる効果測定はマジョリティがやるべきことです。マジョリティのどれだけの人たちが、どのような差別解消につながる行動をとってきたのかということと、その検証はマジョリティがマジョリティに行うことであることを原則として、マイノリティには差別被害の実態が例えば5年ごとに調査に協力してもらう中で、どれほど減ったのか増えたのかなどを検証する取り組みを講じることが大切だと思います。今、このマイノリティへの被害の実態を把握する取り組みすらないという、あり得ない状態が全国的に常態化していることが、私にとっては異常だと受け止めています。
⑤マイノリティ性を有する友だち・知人がいる。一緒にご飯を食べた・お酒を飲んだことがある的なパターン
本当によく聞かされます。私も、健常者・日本人・異性愛者・シスジェンダー・アイヌや沖縄にルーツのない人などと食事をしたり、お酒を飲んだことは多々あります。「だからどうした?」です。どこか自分を普通だと思う正常性や優越性を持っていることによって、あたかも理解者である、差別はしていないと主張しているようです。「ご飯を一緒に食べた=差別をしない」という構図は成立しないと思っています。
また、マジョリティの側が、マイノリティのことを一方的に知っているというだけで、例えば、部落問題について話をしたことが一度もない、在日コリアンをめぐる問題で話をしたことが一度もないなどが割とあるわけです。まずは、マイノリティに関わるテーマで話ができて、初めてこの議論はスタートラインに立つわけです。
⑥どんなマイノリティ性を有していても気にしない・関係ない的なパターン
⑤にも関わってきますが、重要なのは、マイノリティ性を有している側は、どう思っているのか・思っていたのかに視点が置かれていないことが致命的だと思います。あなたはそう、でも相手はどう?です。マイノリティの皆が皆、気にしてほしいとか、関係あることと受け止めてほしいと思っているわけではありません。でも、差別的に気にしてほしいのではなく、気にさせられてきたことを知ってほしい、理解してほしい、共感してほしい、一緒に改善・解決してほしい、この社会でマイノリティ性を意識させられている・差別を受けている・受ける可能性があることを自分にも関係あることとして捉えてほしいと思っているとしたら。差別しないという意味で気にしないということと、差別がある社会の中で、自分にもつながる「関係ある問題」として捉えてほしいということを、マジョリティ側が受け止めてほしいと思います。
番外編:寝た子を起こすなあるある「知ったことで、変に意識するようになった」の加害性
これも毎年聞く・見るので、ついでに。
知ることで変に意識するような差別意識や偏見を有しているということです。個人を特定の属性を持ってステレオタイプで捉えたり、特定の属性だけで捉えるようなことをしている側の問題です。⑥の内容の通りです。マジョリティは、差別がある・生きづらい思いをしているなどに関して「意識」できなければならないし、差別をなくす方向に動き続けないといけないわけです。自分の差別性や偏見を「教えてきた側」に課題意識を向けるのはお門違いであって、自分に課題意識を持たないといけないと思います。
ご覧いただき、ありがとうございました。