ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」41 「地名の取り扱い」をめぐる思い・疑問・葛藤・矛盾・願い

 2022年5月21日からドキュメンタリー映画「わたしのはなし 部落のはなし」の上映が各地で始まりました。試写会に参加をした人たちからは、映画全体としての肯定的な評価と、部落を暴く行為に及ぶ人が出演していること、その人の出演時間が長いことへの不満のようなものを感じたという言葉を聞きましたが、映画全体としては高く評価をしてくれていました。各地での上映が進む中、もちろん映画に対して批判的な評価を直接的にも間接的にも聞いています。同じ運動に所属していても、同じ属性をもっていても、同じ志をもっていても、受け止め方や評価の内容は、人によってさまざまであることを実感しています。

 ここでは、映画に出演し、地名を明らかにした以前から抱いてきた地名の公表や取り扱いをめぐる思い・疑問・葛藤・矛盾・願いについて、自分なりの考えの「一端」を活字で取り出せる未完成な状態でも書いてみようと思いました。正解はないし、この内容が間違っているかもしれないし、そうとも言い切れないのかもしれない。誰にとって正解で誰にとって間違いなのか、いろんな方々のご意見や思いに触れ、確立していきたいと思うところです。とてもバラバラで、まとまりがなく、同じようなことを何度か繰り返し書いています。あえて修正しませんでした。それくらい、私のなかで整理がついていることと、ついていないことの差がかなり存在しているとご理解ください。そして、この内容をぜひご批判ください。

出演することになったきっかけ

 映画のパンフレットでも紹介されていますが、ロフトWESTプラスワンで開催されたABDARCのイベントに登壇した時、満若監督がこられていて、イベント終了後に「部落問題を扱った映画の制作を考えていて、ぜひ協力いただけないか」とお話をいただきました。この映画に関する記事や監督インタビューなどがデジタル記事で報じられている通り、「にくのひと」という監督が初めて監督された自主制作映画を観たことがあり、一言で言うと「おもしろい」と思っていました。監督のお顔もどこかで見たこともあり、直感として「今までにないものができそう」という予感もあって、「ご協力させていただきます」とお伝えしたのが始まりです。

 その後、映画の打ち合わせが始まる中で監督は「対話」を重視していきたいというコンセプトをお話され、普段、一緒に取り組んでいる友人や仲間であっても、じっくりと互いのこと、おいたちであったり、考えていることであったり、課題意識であったりを話し合ったことがあるようでないことを対話を通じて、新たな発見や気づきがあるということを取り上げていきたいということでした。映画制作のプロセスは、取材していきながら決めていきたいというものでした。

 もともと私は、完成品のように出演する予定は当初はありませんでした。監督と何度も打ち合わせ等を進めてくるなかで、同じ地域で同じNPOで活動してきた仲間と、改めて部落問題について語り合ってみるということに流れとしてなっていって、自分がコーディネートするかたちになり、映画のかたちが徐々に鮮明になってくると、今度は、過去の部落問題を取り上げた文献を朗読するという流れになっていって、それが映画のなかのポイントポイントで登場するようになっていったということです。

 監督に何度も申し上げてましたし、私を知る人はたいてい知ってくれていると思いますが、基本、人前に出るのは好きではありませんす。講演したり、マスコミで取り上げていただいたり、テレビに出演したりしていかないといけない場面や機会、差別等の現状があるため、出ざるを得ないという感じです。それに克服しているとは思っていませんが、人見知りであったり。

 映画を観た時は、小学生の時、発表会で発表する自分の声や映像が録音・録画されたものを見て、とてもこっぱずかしい気持ちになった当時と、あまり変わりなく見ていたので、慣れてくるまで3時間を超える映画のなかでも相当な時間を要しました。

まずは基本スタンスから

 まず初めに、私の基本的なスタンスとして「部落の所在地や地名を明らかにすること」の是非について、私の場合は「是」です。理由として挙げるとすれば、「隠す」ということ、「隠し切る」ということが、この時代において可能かどうかというと、私の考えは「非」です。何よりも、地名を明らかにしていかなければ部落差別はなくなっていかないのではと思ってきましたし、今でもそう思っています。

 被差別部落がどこにあるのか知りたいと考える人が、調べようとすれば、正確さはともかく、また良くも悪くもニーズに沿った情報を得られてしまう時代となっていて、インターネット上では20年以上前から、被差別部落の所在地がやりとりされてきました。

 私が今の職に就く以前から、電子掲示板などでは、ふるさとの地名が差別的に取り上げられ、ネットサービスの進展とともに、より鮮明にふるさとが取り上げられ、画像や映像としても公開されてしまう事案が発生し、地名リストがネット上にバラまかれてしまっています。被差別部落を動画で公開するYouTuberも増えている状況もあります。

 私が生まれる以前から、ふるさととルーツのある人たちが差別を受けてきている。こうした差別が生じる前提には、ある地域が被差別部落であること、ある人物が被差別部落出身であることが認識されています。そして、そのことがどう認識されているかによって、部落に関する情報の取り扱われ方が変わってきます。特定の地域が被差別部落であることを知られないようにする、完全に防ぎきること自体が困難な状態は、インターネットが登場する以前からあったと思っています。

 その上で、究極の選択というのは言い過ぎなのかも知れませんが、地名を出していくべきか否かの二択を迫られた場合、「出していく」側を選択してきました。ただし、これまで、明らかにしていくことを能動的にやってきたわけではありません。

 大阪府箕面市の被差別部落は、早くから地名を明らかにしたまちづくりや解放運動に取り組まれていて、とても感銘を受けたのと同時に、あのような地域にしたい、運動を展開したというモデルとしています。地名を明らかにし、ここは被差別部落であるという強いアイデンティティが前面に出ていて、自信を持ち、部落を明らかにした上で、地区の外側につながりを求めていくこと、地域を「開国」するように開くことが、とてつもなく魅力的です。そして、着実な成果が確かに出ている、そう実感したからでした。

地名を明らかにするということ

 今回の映画に限定し地名を出すことにしたメインの理由は、被差別部落を、ルーツのある人たちのこと、ルーツのある人たちの体験や思いが、どのように「知られていくか」「知らせていくか」をとても大切にしていきたいと以前から思っていたからです。人と顔が見えること、地域を隠すのではなく見えるようにすることが、実際にその地域で生きる人や地域、歴史、そして差別が確かに存在していることへのリアリティを生み高め、それが信頼感を生み高め、人々に知ってほしいことが伝わっていくことになると考えていました。

 とは言え、モヤモヤ感は私のなかに常に存在していて、それは小学校の時から持ち始めました。隣保館での人権に関する学習会が毎週木曜日の放課後に開催されていて、高学年で部落問題を取り上げていくことになってからは、「ふるさとを誇れる人へ」「ふるさとを名乗れる人へ」という目標をもとに、学校の先生や隣保館職員、地域の人たちからも、同じようなことを何度も聞かされました。「自分は、(ふるさとを名乗れる)そうできない、そうさせないものとこれから向き合っていかなければならないのだ」とボヤっとですが理解したような気がします。

 実際に若かりし頃、「どこに住んでいるん?」と出身地を聞かれても答えられなかった経験を何度かしたし、高校生の時、隣に座っていた同級生から唐突に「松村君て部落なん?」と聞かれた時は、頭の中が真っ白になって、体が硬直して、冷や汗をかきながら「違うよ」と全力で平然を装って言ってしまった経験をしています。「あの時、何故、『そうだ』と言わなかったのか、言えなかったのか」、今も引きずる決して過去のものではない体験の一つです。

 そんななかで、「ふるさとを名乗れないということは、差別をしていることになる」といった地域のおとなの一部の意見に、疑問を持ち続けていました。私は「名乗らない」という選択肢があってもいいし、何よりも「名乗れなくさせているものに原因がある」わけで、名乗ることで被る差別がある以上、身を守る上では、その選択肢は認められないといけないと思っていました。「故郷を誇りに思えないから名乗れないのではない」ということです。

 一方で、ふるさとを名乗ろうとすると、止められた経験も何度かありました。「時期尚早だ」「周りの理解が追いついていない」「それによって差別を受けるかもしれない」みたいなことは、ある程度、納得できた部分もあります。周りのおとなたちが私を差別から守ろうとしてくれていたからです。でも、おとなたちが主張している「ふるさとを誇りに思う」はどうなるのか、では、いつ、どんなタイミングや場面で、そうすればいいのかと思っていました。

 「部落にルーツのない者が特定の地域を被差別部落であるということが差別に該当する」といった意見だとか、「どこに住んでいるのかを聞くこと自体に問題がある」みたいな意見を聞いて、混乱したり腑に落ちない経験もしてきました。「差別を誘発するような結果を招かないか」とか、「住所を聞いた相手が答えを知った際の対応によってマイクロアグレッションが生じてからでは被害が生まれてしまうという点で遅い」とかなんだろうと思います。

 最近もモヤモヤすることがあって、それは2022年8月3日にTBSテレビで被差別部落の地名リスト出版・ネット掲載差し止め訴訟の東京高裁で原告・被告双方それぞれが意見陳述を行ったことが報じられていました。報道のなかで「部落解放同盟は『地名を公表すること自体、部落差別を助長するものだ」と主張したと書かれていました。私は、この主張に対して同意しかねます。

 今現在の地名を取り扱う際のポイントの論点は、

①誰(どの団体)が、②どのような目的で、③どのような意図をもって、④どのような文脈で、⑤どのような方法で、⑥誰に対して、地名を明らかにするのかだと思っています。

抱えさせられるさまざまな「矛盾」

 運動は、これまで部落の所在地を「暴く・晒す」ルーツのない側に対して、「差別」行為と認定し、時に糾弾してきました。一方で、私が経験してきたように「故郷を恥じることなく、誇りを持って名乗れること」をルーツのある側に求めてきました。運動関係者でなくても「自身や家族が部落差別を受けることなく、ふるさとやルーツを隠すことなく、一度きりの人生を歩みたい」という願いや思いをもつ人は少なくないと思っています。このような願いや思いは、被差別部落の所在地を知ったマジョリティの中に、マイノリティを差別する人たちがいることから、もたされています。

 繰り返しますが、部落の地名を明らかにすること自体が部落差別になるのかというと、私はそうは言い切れないと思っています。でも、「差別を助長・誘発する行為、差別を助長・誘発する可能性が高まる行為」だと捉えています。「部落はどこか」「誰が部落出身者か」を知った人たちのなかから、結婚や交際が破談に追いやられるような差別が実際に起きているし、部落や部落を有する校区内の物件が、そのことを理由に避けられたり取引が不調になったり、契約が解除されているという実例があるわけで、部落とは関わりたくない、部落出身者と間違われたくない「部落を知りたいニーズ」が今もこの社会には存在しているからです。

 これは「被差別部落にルーツがあろうがなかろうが、誰がどのような目的で部落の地名を明らかにしても差別を助長する、誘発する可能性がついてくる」ものではないかと私は捉えています。映画に出演された60代の方のような意識や価値観をもっている人は「どんなことをしてでも部落や出身者を避けたいから、何がなんでも部落か否か、出身者か否かを知りたいから、部落差別をなくそうと取り組む当事者や運動団体が明かした所在地情報をもとに、差別をする」と思っています。「どこの誰が明かした情報なのか」は関係なく差別に利用される可能性があるということです。差別する側が、「これは運動関係者、被差別当事者から出された部落の所在地の情報だから差別に使うのはやめておこう」「これは、興信所や探偵業者がつくった地名リストだから、これはネット上に掲載された地名リストだから、これを使って差別しよう」という選別をするとは思えないからです。とすれば、部落の所在地や地名は、運動団体の側も明らかにしてはいけないとなって、運動側も地名を明らかにしてはいけないとなってしまう、これは好ましいかたちではないと思います。

 差別がある以上、地名は差別に悪用される、それがどのような目的をもったものであれ、差別を助長するリスクを伴うということだと思います。「だから地名を明かさない」、本当にそれで問題はなくなっていくのかというと、そうは思えない。私が今回の映画で地名を出すことをよしとしたことによって、同じ地域の部落にルーツのある人たちが差別を受ける可能性を高めた側面がないとは言い切れないと思っています。

 私は小中学校の生徒に向けて総合や道徳の授業のなかで、体験談を話する機会をたくさん頂戴しています。伊賀市が誕生する以前の自治体では、3つの小学校、2つの中学校があり、それぞれの学校に招かれてゲストティーチャーとして授業に関わってきました。学校側に求められ、部落問題への考え方や被差別体験などを語った後、授業中や休憩時間の時に、たいてい生徒からは「松村さんはどこの地区なん?」と聞かれます。これは私の話のなかで「サッカーチームに所属していた」みたいな話から、サッカーを習っている子どもたちからよく聞かれる質問です。同じ自治体のなかなので、私は躊躇なく自治会名を答えます。そうすると、部落出身を名乗り、被差別体験を語った松村さんが住んでいるところはその自治会だったので、イコール被差別部落だということが生徒に認識されていくわけです。

 今度は、同じ市内で合併前は同じ市町村ではなかった学校に講演に行って、前述した内容と同じ話をすること、生徒からは「どこの小中学校の出身なん?」と聞かれます。私は躊躇なく「〇〇小学校、〇〇中学校」と答えると、生徒たちには「〇〇小学校や中学校には被差別部落がある」と結果として認識されていくということです。

 授業のなかで「〇〇地区という被差別部落の出身の松村元樹です」という自己紹介をしていません。「部落出身の松村元樹です」の場合は、私個人の責任の範囲内(でも家族は巻き込んでいるので、実はこれもモヤモヤと)にことですが、地名を明らかにして語ることは、地名を隠して生活する人たち、ネガティブな理由の有無に関わらず地名を明らかにせず結婚した人たちにも、結果として所在地が認識されていくことになり、差別を受けるリスクを背負わせてしまう可能性があると思ってきたし、今も思っているので容易には公表してきていません。

 私の母は数年前に他界していますが、農事組合法人で20年近く働いてきたなかで、働き始めた当初、仲良くなったお客さんに「松村さんてどこの人ですか」と聞かれ、「〇〇です」と町名で答えると、「あ、そこのどこですか」と再び聞かれたので自治会名を答えたところ、マイクロアグレッションに遭い、そこから同僚やお客さんには、被差別部落ではない隣の自治会を答え続けてきました。母のような存在は決して少なくないなかで、そのような人たちが、いずれふるさとを堂々と名乗ることができ、差別を受けない社会をめざして運動にも参画していきました。

 こうした躊躇や不安、心配等を抱えながら運動を進めてきているなかで、2020年に三重県伊賀市の特定の被差別部落が「部落探訪」と題してYouTubeに動画投稿されました。これははじめてのことではありません。そうした動画を掲載している人物が私の許可なく、私のふるさとを具体的な地名とそこが被差別部落であるという情報とともに音声で公表していました。

 記憶は定かではありませんが、私が中学生か、もしかすると高校生の時くらいまで各自治会すべての世帯に配布されていた「電話帳」があります。20を超える自治会に在住する世帯の家族構成(世帯主、パートナー、子、孫、祖父母)と電話番号や有線番号、住所が記載されていたものです。当然、私のふるさとの自治会も同様に掲載されていて、あの電話帳が今、ネット上に掲載されたわけですが、あれが部落に在住する人々を他者に知らせる目的でつくられたはずはないし、作成者には微塵もそんな意図がないことは明白です。でも、その電話帳が部落にルーツがある人を避ける目的で使用されていた可能性は、県民や市民意識調査で部落差別意識をあらわにする人たちの存在がある以上、ないとは言い切れません。部落地名リストが就職差別や身元調査などの悪用されてきたように、差別がなければただの個人情報や地名であるものが、差別の存在によって差別を助長・誘発するものに変わってします。では、地名等が明記されたものの何をどこまで、どう取り扱うのかという議論が出てくる。でも、電話帳などのように、特定の地域だけ掲載しないみたいなことは、どうあってもおかしい。

 運動団体としても、小学生の時から身に着ける機会がありましたが、黄色のゼッケンをつくり「部落解放」「石川さんを取り戻せ」「人権政策確立要求」などの文字を並べ、支部大会、都府県連大会、全国大会、またデモ行進などの際に着用し、差別撤廃を願って運動が展開されてきています。そのゼッケンは明確に「部落解放同盟〇〇支部」という「地名」を自ら掲載し、東京をはじめ、各地をデモ行進し、多くの人たちに見られる環境になっているわけです。差別意識があるなかで、公になっていないだけで「あのゼッケンには、部落解放と書かれていて、支部のところに地名が書いてある。あれが部落に違いない」となって差別利用していた人がいたかもしれないと思っています。

 隣保館や教育集会所といった施設の名称にも「地名」が採用されているところも少なくありません。もちろん明確に、その地名が同和地区や被差別部落を指しているわけではありません。施設の目的や概要を見れば、そう認識する人たちがいただろうと思っています。

 こうなると「運動側が地名を明らかにすることは良し、運動側が許可したものは、例えルーツがなくても地名を明らかにしてよし」、しかし「運動側ではないものが、運動側の許可なく地名を明らかにしたものはだめ」となってしまう。前述した報道に掲載された主張で言えば、「地名を明らかにすることが問題」だということなので、運動側もゼッケンに地名をプリントしないとか、支部名に地名を採用してはいけないとなっていかないのか等々、矛盾や迷い、とまどいが生じてしまうように思っています。「我々解放同盟はやってもよいが、それ以外の他者はやってはだめだ」ということが、差別の禁止をもとめる側として、どのように法律の文面に落とし込んでいけるのか、非常に難しいところです。

 「差別を助長・扇動・誘発する目的で部落の地名を取り上げること」を禁止したとしても、現在、YouTubeに掲載されている動画には、明確に「学術・研究」「部落差別解消推進」「部落研究」と書かれていて、前者のような目的があるとは容易に判断できないようになっています。何をもって「差別を助長・誘発する目的で地名が明らかにされている」と判断するのか、誰が判断するのか、何をもって判断するのか、ここでもとまどいが生じてしまうと思っています。

 私として目指すべきは、

部落がどこか、部落出身者は誰かを理由に、部落出身者は誰か・特定の人物が部落出身者かどうかの身元を調べる行為、結婚や交際を破談に追いやるという行為、部落や関連する物件を避けるという行為、これらを明確に助長・誘発する目的が明らかな行為

 これを法的に規制する禁止法や条例制定が必要ではないかと思っています。ただし、部落探訪とか、学術研究、部落差別解消推進などの文言を表記しながら動画を投稿しているような人物が、住民やルーツのある人たちの被差別体験などを嘲笑したり、当事者責任論を主張したり、差別被害ではないと断定したり、被害意識が強いと述べたりしているなかにあっては、許されないという感情はとても強いです。

 理想的な社会というか、部落解放運動がめざす部落差別のない社会の一側面としては、

ルーツのある人が名乗りたい時に名乗れ、被差別部落だと認識されても、それによって結婚や交際、物件を避ける、その他マイクロアグレッション等を含むあらゆる差別が生じない状態と社会

であって、

 この社会の実現のためには、文脈や目的を丁寧に踏まえながら地名を明らかにしていくことなしに、めざす社会の実現は成し得るのかという思いをもっています。

 部落差別をなくすためには、今も残念ながら部落差別が残っており、こんなにも厳しい現実が起きているという情報と同時に、ポジティブな面や中立的な側面について地域のこと、歴史的なこと、そこに息づく人のことを知ってほしいということと隣り合わせで、情報が発信されていく必要があると思っています。

 部落問題を取り上げたYahoo!ニュースの記事へのコメントが極めてネガティブで、現実離れしており、コメントの先に人がいるなどが想像もされていないような状況があるなかで、それがまた他の利用者の部落問題認識に悪影響をもたらしている、場合によっては部落問題認知のスタートになっている。そんなネガティブな当事者不在の情報だけがどんどん広がりを見せていくことに黙っていられなかった。黙って何もしないことが、母のようにふるさとを名乗れない人たち、ふるさとを暴かれることに不安を抱かされる人たちを維持し、増やすことにもつながってしまうと思いました。

 部落差別は今もある、被差別部落にルーツがあるということで差別を受ける可能性があるなど、こうした社会の現実を前提に備えた時、

「地名をどういった趣旨や目的を持って明かすのか」「どのような文脈で地名を表現するのか」

が、とてつもなく重要になってくると思っています。

地名を明かすことに躊躇がなかったわけがない

 前述したように「松村元樹は被差別部落にルーツがあります」というのは、個人の責任によるカミングアウトなので、差別被害へのリスクは私一人が背負うことになります。とはいえ、家族や親戚への影響がゼロかというと言い切れないところがあります。部落解放同盟関係者名簿のようなものがネット上に流布された、これは運動の第一線に立てば、こうしたリスクを背負わされ、それは家族をも何らかの危険にさらすことにつながってしまうということです。こうした理由で裁判の原告にたてなかった人たちがたくさん出てきました。

 でも、私が「◯◯(地名)という被差別部落出身の松村です」というと、同じ地域にルーツのある人にもリスクを負わせてしまう可能性がゼロではなくなります。私がとれる責任の範囲を超越してしまいます。ましてや、今は被差別部落から外に転出し生活する人が増えているし、そうした人たちの子どもは自分が被差別部落にルーツがあることを知らない場合もあるわけです。そんななかで、どこが部落かという情報が発信されていった時、「おじいちゃんやおばあちゃんが住んでいるところ」と認識され、自分もそうなのではという思いをもたせていくことになる。思いや疑問をもつことが問題ではありませんが、知らせようとしなかった人たちもいないわけではない。

 こうしたものがふるさとを明らかにしにくいという躊躇となっていましたし、今でも全くないわけではありません。

 とはいえ、地名を私が明かしてはいけないのかというと、そうとは思えないし、地名を明かすなと言われたら抵抗をします。私は被差別部落にルーツがあるということと、地域へのアイデンティティの両方を持ち合わせていて、地元のなかでも、かなり強い方だと思います。

 「とはいえ」を繰り返してしまいますが、抵抗をするとはいえ、大好きな地域の人たちにリスクを背負わせるのには慎重にならざるを得ない、一人でも反対すれば出してはならないでいいのか、「とはいえ」、私の「知ってほしい」という思いや願いがある、地名を明らかにせずに本当に部落差別をなくすことができるのか、こんな思いが頭の中でずっと行き来しています。何が正解なのか、今もわかりません。

 今回の映画で地名を明らかにした「責任の取り方」で言えば、部落差別をなくすために生涯、闘い続けるということです。どのような理由があろうとも、

個人が有する属性はさまざまにあるのに、事マイノリティ属性にのみ着目し、部落問題で言えば同和地区や被差別部落にルーツがあるということに特化した上で、差別をする、そちら側に問題がある。

これにつきます。

最後に

 部落差別がある以上、知ってほしいこと、知らせたいこと、知らせないといけないことがある。その時に、ふるさとの名を隠すことで、こちらが受けとめてほしいと思うことが、どこまで伝わるのだろうか、どんなリアクションがあるのだろうかという葛藤があるなかで、「今回の映画」について、関係者と協議し続けてきたなかでの結論です。この葛藤は部落差別がこの社会にある限り、もたされ続けるものだと思います。

 私が地名を明かして部落問題を語ることで、同じ地域の人たちのカミングアウトにつながることに躊躇があるのは、差別があるから。だから地名を明かさないでほしいという思いは、よくわかっているつもりです。でも、マイナス面ばかりが流布され伝聞される歴史や現在を踏まえれば、未来のためにポジティブな情報を発信すること、ポジティブでなくても、事実を明かしていくことが、地名を出してくれるなと思っている人たちが本当はふるさとを躊躇なく名乗りたいという願いや思いに応えていくという「プラスになる」と考えています。

 部落差別をなくすためには、マジョリティの力添えが間違いなく必要です。そして部落差別をなくすためのアプローチは多様で多角的でないといけないとも思っています。マスメディアや映像のもつ力、発信力等はとても強いことを、この間実感しています。その分、顕在化していた差別意識やニュースコメントやSNS等で可視化されてきていますが、それをなくすために運動などが必要なわけであって、番組や映画構成の課題があれば、それを修正したりブラッシュアップして力添えをさらに得られていくような当事者側のあり方も、これからの部落差別の解消を願う上では、大切になってくると思います。抗議や批判をしてはいけないということではありません。よりよきものにするために、差別を解消する目的を達成するためにパートナー関係の構築が必要だと思うからです。互いに学び合い、高まり合う、そんなこれからの運動スタイルを私は展開していきたいと思います。

 よくわからない、整理できる面とできない面が共存する中で、差別をなくす仕事に従事し、個人としても活動しているところです。

 ご覧いただき、ありがとうございました。

2件のコメント

  1. 珍しく連続投稿します。(笑)
    >何よりも「名乗れなくさせているもの」に原因があるわけで、名乗ることで被る差別がある以上、身を守る上では、その選択肢も認めないといけないと思っていました。「故郷を誇りに思えないから名乗れない」のではないということです。<
    ↑ まったくそのとおりだと思います。来月に元職場の後輩と一献することになっています。彼は学生時代は解放運動に係わった由。でも、部落出身を職場では公表しませんでした。(理由は香芝市役所全体が差別臭が蔓延していたため)ただ、同和教育や同和問題啓発事業を担っていた僕には「部落解放・全研」に参加してくれたのを機に、カミングアウトも含め、いろんな話を教えてくれました。その彼の息子さん二人が同時期に結婚することになり、その報告を兼ねて一献誘ってくれました。心から祝福する旨を伝えました。ホンマにうれしい朗報でした。彼夫妻(お連れ合いは部落外出身)は結婚差別の心配をしたものの、無事?婚約に至ったとのこと。これも、それも、部落差別が今なお厳然と存在するが故の「心配事」ですよね。とにかく、来月じっくりと彼と一献してきますわぁ。

    1. とても気持ちがほんわかとするコメント、ありがとうございます。やはり対話を通して、知っているようで知らない互いの経験や思いを知る機会をつくっていくことの大切さを、今の映画に関わらせていただいたことで、さらに増したところです!

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