ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」49 43年めを迎える「部落問題で考える保護者の集い」

 前回は、小中学生が部落問題について学ぶ集い等について紹介しました。

 今回は今年度で43年めとなる「部落問題を考える保護者の集い」について紹介します。

集いのはじまり

 今から43年前、結婚差別を始め、就職差別などで被害を受ける、職場や日常で差別発言を受ける、当事者責任論や部落分散論、寝た子を起こすな論が横行する中、被差別当事者が立ち上がり、声をあげ、発信しなければ子どもや孫を差別から守るために、部落差別の現状や解消への願いや思いを、部落の外に向けて発信し、部落問題についてともに考え、ともに解決していくための「仲間」をつくることを目的として集いが始まりました。全体会では、被差別当事者が登壇し、被差別体験などを語ることが中心でした。全体会の後、分散会に別れて、地区にルーツのない保護者が部落問題とどのような出会い方をしてきたのか、部落問題に関する学習で記憶に残っていること、身近な人による加差別体験、当事者との関係などについて語り合います。しかし、その場で差別的な発言が出たりすることもあり、ルーツのある側にとっては毎年度、「覚悟」を持って望まなければならない場でもありました。

マジョリティ特権をベースにマジョリティが前に立つ

 38年間までは、部落にルーツのある人たちが全体会で登壇し、先生たちと一緒に劇をしたり、パネラーとして体験談や願い・思いを語るような持ち方が続いてきました。しかし、「マジョリティの特権」の観点からも、被差別当事者が体験談を語ることを前提とした会のあり方に疑問を呈してくれる部落にルーツのない保護者さんグループが地元にはあります。その名も「マダムバタフライ」です。子どもが小学生の時に結成された部落問題を中心に、先生たちと語り合い・交流し合い・高め合う場を提供してくれ、下手すれば先生たちよりも鋭い感性を持って、実践報告に切り込む素敵なマダムたちです。

 事務局会に担当園や学校を代表して参加いただく保護者さんは、多ければ7〜8回ほど参加されます。部落問題との出会い方・捉え方・考え方などを聞いていくと、保護者や親戚からかなりの差別発言を見聞きしてきたという内容や、全く出会ったことがない方、部落にルーツのある人が友だちにいる、カミングアウトを受けたことがある、学習した経験がある等々、さまざまな出会い方がわかってきます。

マジョリティが持つ説得力

 その中で、事務局会に参加された当初は「私には部落出身の友だちが高校の時からいて、何も意識することなく遊んでいた」と言われていた保護者さんがいました。地元では、このような方が一定数おられます。部落にルーツがあろうが、そのことを持って差別しないという点でとても大切にしたい捉え方です。ただ、もう一歩二歩と考えてほしい思いが出てきます。

 こういう時は、私は自分のマイノリティ体験をもとに投げかけます。「私は部落問題の話ができる友だちが高校の時にほしかった」「この何ともしれない孤立感、いない存在として扱われるモヤモヤ感を知ってほしかった」などの経験をしたことを伝えます。要は、マジョリティの側は気にせずにいられても、マイノリティの側は、私のように話をしたかった、知ってほしかったと思っている可能性があるわけです。

 また、「部落出身の友だちがいる」としても、部落問題でつながっているかどうかは別問題です。多くの場合、何らかの方法で友だち宅が被差別部落であることを知ることになった「だけ」のパターンも少なくありません。カミングアウトも受けていない状態です。

 保護者さんたちは会を重ねると、そこに気づいてくれます。「もしかしたら、気にしないと思っていたのはわたしだけなのではと思うようになりました」「気にしないと思いながら接していたことで、友だちは部落問題について話すきっかけやタイミングがなかったのではと思うようになりました」と言われた時には、とても嬉しい気持ちになりました。

 また、ある保護者さんは、整備士をされていて、圧倒的に男の多い職場でたった一人、いわゆる「女性」整備士がいたようです。ある時、「女性」整備士さんがお客さんの車のエンジンオイルを交換することになり、応対していると、いわゆる「男性」客から、「姉ちゃん、悪いけど、誰か(男性)と代わってくれへんか。力もないやろで、ネジ緩んだりしたらえらいことやしな〜(笑)」と言われていた場面に遭遇したことを思い出したと言われました。「自分は男だから、そんなことを言われることはないという特権を持っている一方で、女性は女性であることを意識させられ、一度の失敗で失う信頼がとてつもなく大きく、取り戻すには男性の何倍もの努力が必要であることがわかった気がします。部落問題も同じですね」と言われました。

 ここ数年は、このような保護者さんたちに全体会で登壇いただいています。マイノリティが語るよりも、マジョリティがマジョリティを教育するのは、本当にこのことだなあと実感しましたし、その説得力の高さは半端ないです。

ここでも、「部落問題『で』考える保護者の集い」であってほしい

 分散会では、保護者が部落問題との出会いなどを語られますが、醍醐味の一つは、誰にも話をされたことがない悩みや困りごとなどを語られることです。一人っ子であることが何か不利なような視線で見られてきた辛さ、2人めが妊娠できなくなったこと、おいたちから抱かされたコンプレックス等々です。こんな話ができる場が「部落問題を考える保護者の集い」です。

 差別がなくなれば必要がなくなる会です。でも、部落差別以外で生きづらさを持たされている人たちがいるとしたら、こうした会は続けるべきだと思っています。すべての人が生きづらさを感じなくなる社会になるまで。

 ご覧いただき、ありがとうございました。

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