ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」89 無自覚でも身近にある「部落問題」を、意図的な取組で自覚的身近なものに!

 小中学校や高校で部落問題学習を進めていく中、「被差別部落や同和地区のない校区で、どうすれば生徒たちに部落問題を身近に感じてもらえるか」について悩んでいる学校、先生たちに出会います。「近くにフィールドワークができる地域や施設がない」「被差別部落にルーツのある人が身近にいるかも知れないが誰かわからない」などです。しかし、部落問題は被差別部落が校区になくても、被差別部落にルーツのある人がいなくても(いないという確信を持てるものではありませんが)「部落問題」は案外、身近にあったりします。例えば、生徒さんに「一度、部落問題について身近な人と話をしてみてください。会話した内容をそのままレポートにまとめてください」と宿題や課題として課してみることで、近くに「部落問題」があることを認識することにつながることがあります。以前も投稿しましたが、今回はまた違った視点での取組を提案してみます。

 私としては、部落問題「で」考えていく方法を提案しています。部落問題だけを取り組むのではなく、部落問題「で」さまざまな人権問題を捉えていったり、自分の暮らしを見つめたり、提案をするようにしています。

 次に「部落問題」との接点を見い出す取組を提案しています。被差別部落が近くになくても、当事者もいるかどうかわからない(いるかもしれないと望むものであることは言うまでもありません)中であっても、「部落問題」は身近にある可能性があります。学校の総合の時間の課題として、生徒さんたちに保護者さんに向けて「部落問題について、何か知っているか、どのように知っているか、どのような出会い方をしているか、どう思うか」を聞き取りしてみるというものがあります。普段は、なかなか身近なところで話題になりにくいテーマについて、自分の家族やきょうだいが、どのように捉えていたり、考えていたり、どんな距離感にあるのかを語り合い、身近な「部落」を知るということです。

 目的意識的な取組があれば見えてくる、身近にあるかも知れない「部落問題」。どう出会うことができるか、いくつか例を挙げてみます。

①「被差別部落出身者やルーツのある人」との出会い

 家族が被差別部落にルーツのある人とどう出会っているのかが認識されます。例えば、学生時代に被差別部落出身の友だちがいた、大切な友だちの中に出身の人がいる、出身の先生と出会った、同じ職場に出身者がいるなどです。そして、どのように出身者やルーツがあることを知ったのかという知り方も聞くことができます。出会い方はさまざまで、①ルーツのある人とポジティブ(カミングアウトされた、差別問題解決に熱心に取り組んでいる人と出会った等)な出会いがあった、②誰かから「あの人は被差別部落の出身だ」と結果としてアウティングになる話を聞いた、③どこが被差別部落かを知っており部落問題について特に話をしたことはなく一方的に知っているなどです。他にも、当事者との出会っている人たちの中には「今、結婚差別を受けている」など部落差別に直面させられてきた人から相談などを受けたことがあるということも出てくるかも知れません。

 また「一人もいない」と家族が言い切った場合には、「もしかしたら被差別部落にルーツのある人たちや、他のマイノリティ性を有する人たちもいるかも・いたかも知れないよ。言いたくても言えなかったのかも」とマイノリティがいない存在として扱われていること、疎外感を与えられていることなど、マイノリティが置かれている状況などを伝えることもできます。

 家族が「相手が被差別部落出身者でも気にしない」という考え方を持っていたとしたら、それは一歩的に相手のことを被差別部落出身者と知っているだけで、マイノリティ側は何か伝えたかったのかも知れないと、家族に深みを持ってもらえるきっかけにもなります。

②「被差別部落や同和地区」との出会い

 家族が幼少期や成人になった時、仕事などの関係で被差別部落に行ったことがある経験を持っていたり、その頻度などを知ることができます。①被差別部落の友だちの家に遊びに行ったことがある・遊びに行っている、②仕事の関係で行ったことがある・行っている、③誰かからポジティブ・ネガティブなかたちで特定の地域が被差別部落であると教えられたなどです。そして、「何か思うことがあるか」と聞いていくと、「特に何も気にしない」や「住民の人、お客さんはとても丁寧に対応してくれる」といったもの、場合によっては次の④のような「部落差別」的な捉え方をしているかも知れません。

③「部落差別」との出会い

 部落問題に関して身近な人、友人や知人などと話をしたところ、例えば家族などから「被差別部落の人はずるいことをしている」「被差別部落の人たちは怖い」「被差別部落の人たちは何かあると集団で押しかけてくる」「あの地域は被差別部落だからあまり関わらないように」「あそこはうるさい人が多い地域」「あの地域で事故を起こすと大変なことになる」などといった差別的な内容や偏見に基づく発言が出てくることがあります。他にも、日常生活の場で部落差別を見聞きした経験を持っているかも知れません。①にも関連しますが、部落差別を受けた経験のある人から話を聞いて知った、学校の先生や講演先で部落差別があることを知ったという出会い方をしている人もいます。

 「もし自分が結婚したいと連れてきた相手が被差別部落の人ならどうする?」と確信に迫る内容を投げかけをすると「それは絶対にだめ、許さない」といった反応が返ってくることもあったりします。将来的に結婚することを望む人たちが自分の親や親類から結婚予定者が被差別部落出身であることを理由に反対され、日々、「別れたのか」「いい加減にしろ」「自分のことだけ考えるな」など責め立てられたり、誰にも言えず孤独な状態に置かれたりしていることは珍しくありません。そのような状況になる前にできることがあります。

④「部落問題学習」との出会い

 家族が学校や職場などの場で部落問題について学んだ経験を聞くことができます。「全く学習していない」「学習したがほとんど覚えていない」「歴史のことで学んだ」「先生から教えてもらった」「ゲストティーチャーが学校にきて話をしてくれた」「被差別部落にある隣保館などへフィールドワークに行った」「部落問題について考える小中学性の集いなどに参加したことがある」などを聞くことができ、「特に印象に残っているものは?」と具体的なことを聞き出せることがあるかも知れません。中には「あんな学習、必要がなかった。返って変に被差別部落や出身の人を意識するようになった」「まだそんなことをやっているのか」「寝た子を起こすようなことをしない方が良い」「人権のことより、勉強のことに学校は力を入れてほしい」「そんなに熱心に勉強しなくてもいいから、国語や数学などの勉強に力を入れなさい」など、学習内容が意義あるものではなかった人たちからは否定的な意見が出てくる可能性もあり、「何故そのように思うのか」を具体的に聞くこともできます。

 実際に、家族に部落問題についてどう思うか、何を知っているのかを聞いたら「部落差別は今もある」と家族が認識していることがわかった。でも、すぐに怒りの感情が湧いてきた。それは「差別があることを知っているのに、自分の家族は何もしていない」ということ。そんなことを教えてくれた生徒さんがいました。

⑤自分の差別性に気づく

 部落問題は「見なされる差別」という側面があります。「生まれたところ、住んでいる場所で差別するなんておかしい」、たいていの人は部落差別のことを学べば、ここに辿り着きます。しかし、こう認識すれば良いのかというと、そうでもありません。例えば、「電車など、不特定多数の人たちがいるような場で、表紙に「部落」と書かれた本を読むことはできますか」「外食先や進学先などで、日常会話をするのと同様に「部落問題」を話題にすることはできますか」などと投げかけると、「それはちょっと」という声が聞こえてきます。部落問題を学んでいる子どもたちに「被差別部落に生まれなくてよかったと正直思う子はいる?」と聞くと一クラスで3割程度、挙手する生徒が出てきます。他にも、家族の仕事の関係で引っ越しをすることになり、見つけた家が被差別部落に建っているとしたら、躊躇なく住むことはできる?」と聞いてみたりすると、「住んでしまうと、その地域の出身になるから、誰から出身者と思われて差別を受けることになるのは嫌だなあ」となって購入や賃貸を見送る、取引が不調になるなどが起きています。こうした自らの差別性を問うようなアプローチができます。

 身近な問題とは何か、それは自分や身近な人たちがマイノリティ性を有しているという側面だけでなく、ここで挙げたような部落問題やそれ以外の問題に関しても、別の身近さを感じることができる取組を進めていくことが大切です。そして、単に宿題や課題として出すのではなく、学校や先生たちが保護者らと部落問題について話をしていく日々の実践が求められます。

 ご覧いただき、ありがとうござました。

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