ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」88 ジャニーズ事務所問題から考える人権問題

 1970年代前半から2010年代半ばまでの長期間に渡り、故ジャニー喜多川さんによるタレント(ジャニーズジュニア、未成年)への広範囲な性暴力が繰り返されていたことが認められました。被害者たちは、華やかな舞台でファンとともにエンターテイメントを楽しむなどの夢を見て、努力を重ねていた時に、人生そのものに甚大な被害を受けるとは思ってもいなかった、そしてご家族も、信頼し預けた先で、これほど傷つけられていたとは思いもしなかったと思います。

 事務所が開いた記者会見では、何度も「人権」という言葉が登場していました。これまでコマーシャルなどにタレントを起用してきた企業の中からは、「社の人権方針に反する」「このままタレントを起用し続けることは人権侵害に寛容であるということになってしまう」などを理由に、タレントの起用をとりやめ、契約を更新しない対応をとりはじめました。これは国連が採択した「ビジネスと人権」指導原則や、日本で策定された「ビジネスと人権行動計画」、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」などを踏まえての取組であり、グローバルスタンダードです。

 このような深刻な問題が何故、長期にわたり維持され、被害者を生産し続けることになったのかを考えていきたいと思います。

抑圧され続けるマイノリティや被害者の声

 深刻な性暴力の問題は「暴露本」などで、何十年も前から被害者たちは声をあげていました。しかし、社会が圧倒的「無関心」であったこと、被害を取り上げることをしませんでした。性暴力の存在を知りながら、タレントをテレビ番組に起用し視聴率を伸ばすことでスポンサーが増え、広告収入を増やすことが優先された、タレントをCM起用してきた企業は商品の売り上げを伸ばし、収益を増やすことを優先し、まともに取り合わないどころか、見てみぬふりをしてきたなど、性暴力への加担と容認を続けてきました。こうしたことが構造的に行われてきていました。

 差別の厳しい現実は、当事者から「声をあげる・表現する」行為を奪い続けています。被害や不当性に声をあげることは、カミングアウトとセットになります。今回の件で言えば、「男性である自分が男性から性暴力を受けた被害者」ということであり、声を上げれば、そうしたレッテルが貼られる可能性があるということです。

 声を上げた後にも、差別や人権侵害が待ち受けていることがあります。「偏っている」「気にしすぎ」「被害者意識が強い」「寝た子を起こすな」「なんでもかんでも差別と言うな」など、まともに受け止めようせず、むしろ二次的・三次的に傷つけられることが実際に起きています。まだ声を上げていない自分も、声をあげれば同じ状態に置かれると不安や恐怖、躊躇などを生み出し、声を上げることをやめさせられます。被害は自分だけにとどまらず、家族まで及ぶような状況もあるからです。

 今回の事件では、声を上げた被害者に対し、当初は「一流デビューできなかった人たちが、その腹いせに事務所や創業者に何らかの制裁を与えようとしているのだ」などと取り扱われました。他にも、「あなたたちが声を上げたせいで事務所が潰れた。なんと言うことをしてくれたのだ」というものもあったと報じられています。創業者からの性暴力による「被害者」であるにもかかわらず、事務所や社長らを理不尽に攻撃し、事務所を潰した、自分たちファンの夢や希望を奪った「加害者」に仕立て上げられてきました。「被害者が加害者に置き換えられる」構造は、コロナ禍の感染者等への差別、福島原発事故後の避難した県民らへの差別、広島や長崎の原爆被爆者らへの差別、ハンセン病問題など、この国では嫌と言うほど繰り返されている問題です。

 こうした構造的に加害者に仕立て上げられることで、深刻な被害を受けた被害者の声は、もともと小さいなか、さらに小さくさせられ、そしてマジョリティによって構造的に「かき消される」という状態に置かれています。

声を上げられない→マジョリティに聞こえない→ないことにされる

 性暴力の被害を受けたことをカミングアウトすれば、周囲から「性暴力の被害者」と見られる、そうした視線で見られたくない、そんなレッテルをはられたくないという心理が働いたのかもしれません。差別やいじめを受けた経験のある人たちが、差別やいじめを受けていたことを知られることは恥だと思わされています。

 被害者やマイノリティの声がマジョリティに届かなくなることで、社会問題である差別や人権侵害の有無を「個人的な感覚や実感」で判断する人々によっては、「差別や人権侵害を見ないし、聞かない。だからない」と認識される。職場内で差別や人権侵害、ハラスメントなどの被害を受けていても、声をあげられない被害者が一定数いても、声をあげられないため「ないこと」にされています。

 声をあげられない構造はさまざまで、今回の事件でいえば、「問題にすれば、一流デビューできなくなる」ということもあっただろう。職場内の差別や人権侵害を問題にすれば昇格できないといった社内風土が被害や問題をなきものにする。個人的なことだけでなく、グループに所属している場合、他のメンバーの夢をつんでしまうことになるのではないかといったことも声をあげられなかった理由なのかもしれません。自分だけ黙っていれば事はうまく進むんだと自戒したり、グループに所属していれば、他のメンバーから「デビューするために努力を重ねてきた。今、告発されると夢が叶わなくなってしまう。頼むから我慢しておいてほしい」などもあったのではないでしょうか。こうした状態に置かれるのは、差別の被害者も同様です。

いわゆる「男性」が被害者であったことの影響は?

 今回の事件は、加害者と被害者が男性であったというところにも、問題が発覚しにくかったのではないかという分析もあります。昨年の国内における自死者数は21,881人、いわゆる男性が14,746人、いわゆる女性が7,135人とされており、2倍近い差となっています。いわゆる男性の自死がいわゆる女性よりも多い理由には、「男性役割」「男らしさ」などの影響があるという分析があったり、心理学者でフロリダ州立大学教授のトマス・ジョイナーさんは、「自分が孤独であるという感覚」「自分が他人に対して重荷になっているという感覚」「痛みへの抵抗感の薄さや痛みに対する慣れ」といったものが自死の原因としてあげられる中、特に「孤独」についていわゆる男性がそうなりやすいとされています。

 性暴力を受けた際、「大したことはない」「よくあることだ」「もう気にしないことだ」「忘れることだ」といったものにはじまり、「抵抗すればよかったのに」「きちんと断ったのか」などを言われている被害者たちがいます。こうした被害者をさらに傷つける言動に及ぶのは、親や友人、職場の人などが上位を占めています。こうした被害を「セカンドレイプ」とも言います。

 他にも、「男性なら逃げることや抵抗することができたはず。それをしなかったのは、その気があったからだ」といったものや、「男性が被害に遭うわけがない」という前提のもとにあることで、「男性同士なら、あなたは『ホモ』だ」といったことをはじめ、嘲笑やお笑いのネタにされることで、男性が被害を訴えにくくなるとも言われています。

トーンポリシング

 問題はまだあります。事務所が開いた会見で「被害者のみなさんが自分たちのことでこんなに揉めているのかというのは僕は見せたくない。できる限りルールを守りながら、ルールを守っていく大人たちの姿をこの会見では見せていきたいと僕は思っている。どうか落ち着いてください。お願いします。」と事務所側がマスコミ関係者に語りかける場面があり、この発言に一部のマスコミ関係者から拍手が起きました。

 この取り返しのつかない性暴力は、どの会社がその子どもたちに被害をもたらし続けたのか、どの会社がこの状況をつくり出したのか、この事件の当事者は誰なのか、不明瞭なままであるにも関わらず、発言と拍手は問題の本質に辿り着いておらず、当事者意識が低いことを明確にしたと言えます。「落ち着いてください」という発言は明らかな「トーンポリシング」です。

 「トーンポリシング」とは、差別や人権侵害などの被害や社会的課題について声を上げた相手に対し、主張している内容ではなく、相手の話し方、態度、感情を批判することで、論点がずらされることをさす。これは差別や人権侵害被害に関する声をあげた際にも、しばしば登場する。「そんなに怒らなくても」「もう少し冷静になったほうがよい」「言い方を優しくしたほうが伝わるのに」などです。こうして「言わなければよかった」「私が悪いのか?」など、抑圧や二次的被害などを招いています。

「意図」ではなく「結果」の問題

 性暴力とは何であり、こうした被害は当事者にどのような結果を及ぼすのか、加害者側がなすべきことは何なのか、逆にやってはいけないことは何かなどを一つひとつ丁寧に整理していかなければなりません。しかし、ジャニーズ事務所側は、被害者への聞き取りなどは「第三者委員会に委ねる」としてきた中で、「被害を受けた人たちの中に虚偽の話をされる人たちがいる」と述べています。加害側が「虚偽」といったことを持ち出すことは、被害者への二次加害を発生させ、被害を受けてきた中で声を上げることができていない人たちに萎縮効果をもたらしてしまいます。「虚偽の疑わしい事例」があったとしても、その可否を判断するのは第三者委員会の役割であるはずです。

 記者会見で、東山さんが加害側であるのかどうか、加害を助長したかどうかについて質問が及んだ時、「本人がやってないと説明している」とのことですが、本人の証言だけで判断できるものではありません。「加害側の意図」が重視されると「合意があった」と言えば通用してしまうことになりかねません。現時点でも数百人にのぼる被害者を出した「性暴力」は、それ自体を容認し、加担する力関係・構造が組織的に機能し続けていました。差別や人権侵害は、「意図」ではなく、「結果」の問題です。

 差別は、たいてい悪意や意図なく行われる問題であり、無意識のステレオタイプなどによって、他人を肯定的に評価している際にも生じるものです。よって、加害者が自ら気づくことは容易ではありません。何気ない無意識の日常や、相手を褒めているつもりで発生するからです。

人生被害という深刻性

 性暴力が発生した「時期」が何十年も前であったことが明らかになりました。発生時期は何十年も前ですが、過去の問題とは到底言えない被害の痕跡、傷跡を残しています。「過去」の経験が被害者のその後の人生にどれだけの深刻な影響を与えてきたのかは計り知れません。

 差別や人権侵害を「過去」に受けたことによって、それからの人生に確実な「被害」がもたらしています。加害者に仕立て上げられる、黙らされる、転職を余儀なくされる、ふるさとを名乗れず隠す、差別を見聞きして話の流れに合わせる等々、「人生そのものへの被害」が生じ続けており、未だ被害者は「救済」されていません。今回の事件では、まさに「これから」です。

 今回の事件でも明確になったのは、「差別を受けている・受ける可能性のあるマイノリティに、差別解消の責任を負わせ続ける」社会構造であるといえる。これほど理不尽なものはない。しかし、現実は動き続けている。小さき声を、今回の事件でいえば、マスコミが取り上げてこなかったことの功罪は大きいものがあります。もちろん取り上げてきた記者やジャーナリストはいましたが、文字通りねじ伏せられてきました。上層部から、他の関連会社から「圧力」がかかり、記者のなかには、取り上げてきたことで脅迫されたということも報道されています。テレビ局等の視聴率至上主義は、タレントを起用し続け、深刻な人権侵害を握りつぶしてきました。

 一部のテレビ局は、「事務所に問題はあるが、タレントには問題がない」と起用し続けることを公言していた。例えはよくないことを前提に説明すると、「児童労働や賃金搾取などを行ってきた問題ある企業であるが、商品は悪くないので購入し続ける・使い続ける」ということであり、まさに問題への加担です。こうしたことを認識できない役員のいる企業の持続可能性を担保することは容易でない社会となってきています。「知っているのに取り上げてこなかった」構造は、政治との距離の近さ、忖度を続ける構造でも言えます。

ビジネスと人権、人権監査の設置

 今、「ビジネスと人権」が世界的に重要視されてきています。SDGsのように、単に既存の取組をあてはめる程度のことでは、何も変わりません。まず、企業などは、人権デュー・デリジェンスの実施が求められます。人権侵害やリスクは発生していなのかどうかを特定することを何よりも優先的に実施すべきです。人権侵害やリスクが特定された場合、直ちに停止させ、軽減させ、是正することが求められます。その取組を内部と外部で評価し、公表することです。

 元タレントらへの誹謗中傷に対し、事務所は「誹謗中傷をやめてください」と呼びかけるだけでは不十分です。呼びかけでなくなるものであれば、死に追いやられてきた人たちは出てきません。事務所がなすべきことは、例えば、弁護士等でチームをつくり、元タレントらへの誹謗中傷が発生した際は、会社が設置したチームで発信者情報の開示請求を行い、発信者を特定した上で、名誉毀損での告発をはじめ、損害賠償請求など訴訟にかけるといったことを実施することが必要でした。結局、それすらもしなかったため、被害者たちに及ぶ誹謗中傷を、被害者たちが対処させられ、耐えられなくなった被害者が命を落としてしまいました。

 ジャニーズにはじまり、ビッグモーターや宝塚歌劇団等で明らかなように、内部だけでは、人権侵害やリスクの特定をすることなく、むしろ被害やリスクを隠蔽し、とてつもない暴力が展開され続けるということがわかってきています。法人や事業面の監査に合わせて、外部からの「人権監査」が必要だということです。企業が人権侵害に加担し容認していることはないか、ステークホルダーとの間で人権侵害が発生していないか、企業内において人権侵害が発生していないかなどを外部から監査するということです。

 ご覧いただき、ありがとうございました。

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