
インプットでとどまっている教育現場
小学校や中学校で人権問題に関する学習や講演会などで、生徒さんたちがアンコンシャスバイアスや無意識の日常的差別について学び、無意識にもっていた思い込みや決めつけ、偏見、自身の差別性について、はじめて気づいたり知ったりすることがあります。保育園や幼稚園からいっしょに過ごしてきた子や低学年からいっしょの子たちに対しても、思い込みや決めつけは起きやすく、友だちが普段、学校で見せている姿、自分が見ている姿がすべてだと判断していたこと、それぞれにバックグラウンドがあり、その多様さなどに気づく、学校以外の自分の暮らしを語り合うなどの実践もあります。とても大切な取組ですが、案外、校内だけでとどまっている学校が少なくありません。
自分たちが、無意識の偏見をもっていたこと、無意識に誰かを差別していたかもしれないと気づいたということは、自分のまわりにも同じように偏見や差別意識をもっている場合があるということです。私くらいの年代の人は、小学校の時、社会の授業で誤った部落の歴史観、特に江戸時代の身分制度を学んでおり、それをアップデートできていない人はかなりの割合でいることがうかがえます。アップデートをする機会は自動的にめぐってくることは、保護者になった際の保育園や学校で研修に参加した時など以外、圧倒的に少ないからです。つまり、子どもたちが得た知識や気づきは、保護者や住民、下級生などに向けて「アウトプット」をすることが不可欠だと思っています。保護者や地域の住民については、子どもたちが考え、作りあげたものを聞こう、見ようとたいていしてくれます。学校が用意したものだけでなく、子どもたちで発案し実施するものであれば、なおさらです。PTAや学校主催の研修や講演には参加しなくても子どもたちが発表・発信する取組には参加してくれる、それを活用しきれていない学校が多くあります。
「差別って本当になくなるの?」と考えている生徒たちにとって、「無意識の偏見や差別に気づいたり自覚的になったりすることで、自分のなかから差別や偏見が一つ二つとなくなっていった」という実感を得られるわけです。完全になくすことを目標に、なくなるかどうか誰もわからないなかで、着実に減らすことができる、それは自分だけでなく、周囲にアウトプットしていけば、自分と同じような偏見や差別を有している人に気づいてもらうことができ、周囲の人たちからも偏見や差別がなくなっていくということです。
アウトプットの方法は多様
生徒さんたちと無意識の偏見や差別などに関する学習を積み、それぞれが自覚しはじめた段階で、教師が一方的に授業を進めるのではなく、生徒に課題を出して、世の中にある無意識の偏見や差別について事例をまとめてみるとしてみればよいと思います。今は一人に一台のタブレットがあるので、授業中でも家に帰ってからでもできるということです。教室でグループをつくり、それぞれが見つけてきたり考えたりした無意識の偏見や差別について共有し、次のアウトプットに向けて何をどのようにしていくかを整理していけばよいと思います。生徒たちが自主的・能動的に取り組み、自分たちの力でつくりあげることが重要です。そうすると、自宅でタブレットをつかい、オンラインで打ち合わせしていたグループも出てくるような、普段、教師がつかめていなかった能動性などが見えてきたり、そうした波及効果が出てきた学校もありました。例えば、アウトプットや運動の例として、
1 劇や呼びかけでシナリオやセリフを考え、保護者や住民、下級生や小学生に発表する
2 通信を発行し自宅に掲示してもらう、公的機関や事業所に配布する、駅前や店舗前で配布する
3 ポスターを作成し、公的施設や事業所、自治会の集会所等に掲示してもらう、そのための依頼を行う
4 保護者や住民を対象に授業したり、講演やパネルディスカッションをしたりする
5 保護者と住民らを交えてのいっしょに人権について考えるグループ活動を実施する
6 人権動画を作成し、地元の会合などの場で上映してもらう、地元局やケーブルテレビで配信・放送してもらう、SNSで動画を配信する
7 市町長や教育長、市の関係部局などに政策提案する
8 啓発グッズをつくり販売・配布する
9 学校や校区の人権方針をつくる 等
こうした取り組みが必要不可欠です。

保護者や住民らからのレスポンスが必要
子どもたちが自分たちで発案・企画した取組が実施された際、保護者や住民、事業所などからも、レスポンスを得ることが大切です。自分たちが偏見や差別に気づいた、それをアウトプットした結果、保護者や住民なども偏見や差別に気づいてくれた、こうした内容も差別は軽減させることができる、なくすことができるという実感となっていきます。そして、「やりきってよかった」という達成感、「自分たちでもできることがある」という自信や意欲、「みんなでやった」という民主的で集団としての力などが、将来への力とつながっていきます。子どもたちのなかで結婚し子どもができたり、結婚以外でも子どもを授かったり、いっしょに家族として生活することになった時、自分たちが小学生や中学生の頃、どんなことを学んだのかをはじめ、どんなことに、どのように取り組んできたかを語れるようになると、それが継承され、次世代の子どもたちが発展してくれることになると思います。
誰もが安心して一人になれる、自分のままで生活できるクラスづくりについても、今までの自分たちから、今、とても安心して過ごせるクラス、安心して言いたいことや伝えたいことを伝えられる関係になってきたことをアウトプットすることもできます。案外、保護者や地域住民は、学生時代にこうした暮らしでつながる実践に出会えていません。自身のコンプレックスや暮らしの事実まで打ち明けていくような取組を経験できていないので、人はそんなところでつながることができるのかということや、子どもがいきいきと学校が楽しいと過ごす姿に触発されます。
つながりを意識し実効性ある取組を
地元では毎年、「部落問題を考える小学生の集い」「中学生の集い」が開催されています。市内すべての学校が、生徒とともに学んできてこと、実践してきたことを各校の代表らが報告したり、それぞれの子どもたちの思いを出し合ったりしています。また、自分の暮らしを部落問題と重ね、つなげて考えるということも大切にされています。
当日は、はじめて出会う子たちから、いろんな思いや体験、伝えたいことを打ち明けます。そんな時、何をどう返したらいいのか悩み、うまく伝えられなかったり、教師側として捉えてほしいことがスルーされてしまったりすることは、よく起きます。打ち明けた側は、返しがなかったことに、モヤモヤして帰ることもよくあります。
別の日、集いでのことをクラスで還流し、先生とともに当日の振り返りをするなかで、いっしょのグループにいた子の話に対し、思うように返せなかったことや、先生が改めて他校の子が発言していたことの意味を伝えると、「今ならこう返そうと思える」、その後の学習を進めていくなかで、「こう返せばよかった」と出てくることもよくあります。
せっかく子どもたちと、そんな大切な振り返りをして、とても素敵な返す言葉が出てきたのに、そこから何のアクションも起こさない学校が多いことがわかってきました。当日、同じグループで発言してくれたのに、十分な返しが出来なかった子たちに向けて、「電話、オンラインツール、メール、手紙」などで返すことができるから、それをやったほうが、発言した子たちにとっては、そんなことを思ってくれていたのか、そのように捉えてくれたのかと思うと伝えてよかったと思えるし、返しきれずに後悔している子にとっては、「伝えられてよかった」となるだろうし、「ありがとう」と返ってきたり、その後につながっていけます。それだけでなく、そのことを保護者に話をしたり、送られたものを読んでもらえたりすれば、自分の子どもが何を伝えたのかはもちろんのこと、そのことに対し、まわりの子たちが何を我が子に返してくれたのか、それを知ることができると嬉しい気持ちになると思います。
部落問題を通してつながる仲間をつくること、その仲間は校内だけでなく、隣の校区や市内でもつくることができる機会であり、それが結果として大切にされていませんでした。
部落問題を通してつながる仲間の広がり
保護者のなかにも、「私の友だちにも部落出身の子がいて、特に何かを思うこともなく仲良くしていた」という経験と考えをもつ人がいます。しかし、もう一歩足りないと思っていて、それは「その友だちが住んでいるところを被差別部落だと知っていて、その地域の出身だから部落出身の子だと認識しているだけということ」「部落問題でその子と話をしてこそ重要」「何も気にしていないことは差別をしないという意味で大切なこと、でもその出身の友だちは部落問題に関して何か伝えたいことがあったのかもしれない。相手はどうなのだろう」といったことがよく抜け落ちていることがあります。つまり、部落問題ではつながっていないということです。こうしたパターンが案外、多いです。
互いのマイノリティ性や暮らしでつながれる機会はそうそう巡ってきません。手紙にLINEのIDや他のSNSのアカウントを載せておく、住所を書いておくとかすればなおよくて、集いに参加する子どもたちには20枚程度の名刺をつくらせてもよいのではないかと思います。インターネットは常に人とつながることができる、それを活かす教育実践の一つになると思います。
マイノリティにとって、自分にとって大切なことで、大切なところでつながれることが、どれだけ心強いか、私自身は良くも悪くも経験してきています。私よりずっと若い子たちも、部落問題でつながれる友だちが小中学校でも、高校でもできなかったということも聞くことが多いです。どれだけ学校が意図をもって、つながれるように仕掛けていくのかも重要になります。ぜひつなげてほしい、その子たちの一生に関わることだから。
ご覧いただき、ありがとうございました。
