地元でも市外や県外から転入して来られる方が増え、生まれ育ったところでは人権教育的な学習がなかった人、部落問題学習は受けたものの、あの学習に何の意味があったのかが理解されなかった人などがおり、これまで部落問題を中心に添えて取り組んできている地域や学校に向けて「何故、多様な人権課題があるのに、ここでは部落問題を中心にするのか」という疑問や批判的な意見が出てきています。こうしたことに、これまで地元の人に対しても丁寧に、腑に落ちるように説明してこなかったと受け止められる状況をあちこちで見聞きします。私なら、こう説明するというものを書いてみました。今までの教育や啓発の進め方や内容、今の進め方や内容をベストだとは思っておらず、むしろ改善したり見直したりする必要のあることが割とあると思っています。
部落差別は、日本特有の歴史によって作り出された差別です。中世における「ケガレ」を祓う「キヨメ」の役割を担った人たちへの畏怖意識、江戸時代における封建社会での賤視や排除、いわゆる解放令後の差別等の放置、都市開発からの排除などにより、明治以降、被差別部落がスラム化していきました。同じ身分同士でしか結婚できないルール、身分ごとに振り分けられた仕事は、いわゆる解放令以降、自由化された中で、被差別民衆に対する差別意識は強くなり、深刻な人生被害をもたらし、生きることすら危ぶまれるという生存権まで脅かされる事態となり、全国水平社が立ち上がりました。
見出しのように、ここでは「何故、この学校や地域では部落問題を中心的に取り上げるのか」に答える内容として書いたため、誤解が生じないように説明しておくと、部落差別が最も厳しく、日本で最も重要なテーマという認識を持っているわけではなく、あらゆる差別の解消を願い、取り組んでいく必要があるという前提にあることをおさえておきます。また、「部落問題学習を中心的に添えた学習を『しなければならない』」とも思っていません。学習をしていくことは必要ですが、必ず中心に添えるべきということではなく、人権の基本を正確に土台に添え、その上で、人権問題や差別問題を自分に引き寄せられる学習、解決を目指す行動につながる学習などが必要だと思っています。
内閣同和対策審議会答申
1961年12月7日、内閣総理大臣であった佐藤栄作内閣総理大臣は、有識者で構成される「同和対策審議会」を設置し、「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本的方策」について諮問した。「同和対策審議会」は諮問を受けた内容について、42回の総会、121回の部会、21回の小委員会を開催し審議を重ね、同和問題解消のために国や地方公共団体に求められる方向性や施策等について答申しました。これを「同和対策審議会答申」と言います。部落差別の解消を国の責務であり国民的課題と位置づけ、同和問題の解決を国策として取り組むことを確認した歴史的な文書とされています。
さまざま差別問題が社会にある中で、内閣が特定の差別問題に関し、有識者で構成される審議会を設置し、特定の差別問題の解消に関しする方向性や施策について諮問した差別問題は、部落差別が唯一です。答申の「4 教育問題に関する対策」では、「同和問題の解決に当って教育対策は、人間形成に主要な役割を果すものとしてとくに重要視されなければならない。すなわち、基本的には民主主義の確立の基礎的な課題である。したがって、同和教育の中心的課題は法のもとの平等の原則に基づき、社会の中に根づよく残っている不合理な部落差別をなくし、人権尊重の精神を貫くことである。この教育では、教育を受ける権利(憲法第26条)および教育の機会均等(教育基本法第3条)に照らして、同和地区の教育を高める施策を強力に推進するとともに個人の尊厳を重んじ、合理的精神を尊重する教育活動が積極的に、全国的に展開されねばならない。特に直接関係のない地方においても啓蒙的教育が積極的に行なわれなければならない。」とされています。
法律で規定されている「地域の実情」
「人権教育・人権啓発の推進に関する法律」の第5条「地方公共団体の責務」では、「地方公共団体は、基本理念にのっとり、国との連携を図りつつ、その地域の実情を踏まえ、人権教育及び人権啓発に関する施策を策定し、及び実施する責務を有する。」としており、「地域の実情を踏まえ」た人権教育に取り組むとされています。北海道ではアイヌ民族、沖縄県では基地問題、広島県や長崎県では「戦争と平和、被爆者への差別」、コリアンタウンがあるなど在日コリアンの集住地域があるところでは「在日コリアンへの差別」が中心的なテーマになってきたのは「地域の実情」です。
「被爆者への差別」に関しても、「在日朝鮮人への差別」が元々あったなかで、「原爆の業火は、あらゆるものを焼き尽くした。しかし、差別だけは焼き尽くしてくれなかった」と体験談を語られたり、被曝後に、被差別部落出身者であることを理由に医療を受けられなかった経験談を語る被爆者としての差別と部落差別の複合的な差別を受けてきた経験談を語られていた方がおり、複合的な差別の解消を目指す教育を中心的に取り組んできた地域もあります。
2016年12月16日に施行された「部落差別の解消の推進に関する法律」の第5条「教育及び啓発」では、「2 地方公共団体は、国との適切な役割分担を踏まえて、その地域の実情に応じ、部落差別を解消するため、必要な教育及び啓発を行うよう努めるものとする。」としており、ここでも「地域の実情」が位置付けられています。
部落問題を中心に添える教育や啓発の展開が必要な「地域の実情」というエビデンス
私の地元では、1949年から部落解放運動がスタートし、その運動が広く展開されるようになり、すべての人が大切にされるまちづくりへと広がりを見せてきた。校区単位のまちづくり協議会が、市内だけでなく、全国的にも先進的な取組を展開してきた、その土台は、半世紀を越える、町をあげての同和教育研究運動が培ってきた歴史がある。同和教育研究団体の主体は住民であり、そこに教職員、保育士、行政職員などが会員として参画し、ピーク時には600人を越える会員数となりました。
部落差別を解消するための学習は、部落差別の解消のみを目指した学習ではなく、あらゆる差別問題への解消へとつながり、差別問題に限らず、生きづらさを抱える子どもたちやおとなたちが、つながりたいところでつながりあえる関係性の構築、自らを縛り付けてきた者からの解放などへとつながり、すべての子どもたちの進路・学力保障の実現など、普遍性を持った学びへと発展してきたことに貢献してきています。
部落解放運動(マイノリティの運動のみを指しているものではありません)は、部落差別の現実を可視化することに取り組んできました。そうした中で運動への参画の有無に関わらず、被差別部落にルーツのある人たちが被ってきた差別や差別を受けることへの不安などについて、社会に、マジョリティに向けて声をあげていきました。そうした差別被害は、国や自治体による生活実態調査によって、公になっていない深刻な差別被害の事実を明らかにしてきました。そうした被害を生み出す差別意識は、市民にどのように潜在化しているのかについて市民を対象とした人権意識調査を実施することにより結婚差別や差別身元調査につながる差別意識を明らかにしてきました。不動産取引の現場において、取引物件が同和地区であることを理由に契約の解除の申し出や、取引不調が発生している事実が不動産業者への実態調査で明らかにしてきています。こうした差別の現実は、「地域の実情」として、差別による被害が目の前で、「身近」なところで発生している現実を前に、部落差別解消への営みに力を入れることは必然です。他の「障害」者差別や女性差別、外国人差別等がないということではなく、これまでの運動等の中で、マイノリティの声や国・自治体による調査結果等によって、加差別の現実や、被差別の現実が最も具体的に示されてきたことが、同和地区があり、出身者がおり、部落解放運動が盛んに展開されている校区において、これまで部落問題を教育や啓発の機会に取り扱うことが多くなっています。前述したように、北海道の問題はありませんが、とりわけ北海道で取り上げられることの多いアイヌ民族をめぐる問題、沖縄県の問題ではありませんが、とりわけ沖縄県で取り上げられることの多い基地問題、広島や長崎における被爆者等への差別問題等というようになるのは当然のことです。
「違いなきところにつくられる差別」
差別問題に関しては、市民意識調査において、部落問題学習を経験してきた人たちの「障害」者差別や外国人差別、女性差別などに対する批判的な意識の向上、さまざまなマイノリティの人権保障の重要性への認識の向上などにつながっていることを客観的なデータが示しています。
部落差別は、生まれ育ったところ、ルーツなどの違いはあるのは当たり前ですが、誰にでもある違いであることから、「違いのない」ことでもあります。「違いのないところに『被差別部落』という違いを人為的に作り出し、生じる差別」です。その性質により、「違いがあっても差別は許されない」のは当然のことですが、人によっては、「違い」を正当化したりして、差別があることに「仕方ない」など納得をしてしまう人もいる中で、違いのないところから生み出される差別が、いかに不当であるのかを捉えやすい側面があるとされてきています。だから、差別は意識の問題を含んだ「社会構造の問題」であることへの認識を持つことにつながっていきます。
また、その「違いがない」という中で、同和地区を主な対象とした車が走れる道路幅の確保、不良住宅の解消等のための住環境の改善事業、同和地区住民を対象とした高校以上の進学の実現のための奨学金制度、自動車免許を取得するための財政支援、就職のための財政支援などは、「同和地区住民もそうでない私たちの間に『違い』がないのに、特別な事業等を実施することは不公平だ」と、妬み差別、逆差別、現代的レイシズムと言われる差別が発生することがあります。ここで言う「違い」は単なる表面的な違いであって、江戸時代における制度的差別、いわゆる解放令発布後の差別等の事実上の放置という「国策」により、同和対策審議会答申が指摘した権利や自由を侵害・制限され、非識字者を生み出してきたこと。「職業選択の自由」等を侵害する就職差別により生活基盤の安定や向上が阻害されてきたこと、「婚姻の自由」を侵害する結婚差別、居住や移転の自由を認めなかった問題、教育を受ける権利の侵害など、複同的な権利や自由の侵害・制限により、暮らし・生活そのものを奪われきました。学校に行けず、字の読み書きができないため、安定した収入を得られる職に就けず、就職のため履歴書を送付するも本籍地や現住所を部落地名リストと照合し、不採用にされたきたこと等々が「無視・軽視」され、表面で見える事業だけを捉えて、逆差別だという捉えに陥ってしまうことも、さまざまなマイノリティへの諸事業が必要な理由は何か、そうしたマイノリティを対象とした諸事業が展開されるには、どのような不公正等があるのかを、能動的に知ろうとし、正確な事実を捉えていく必要性の土台を備えていくために、部落問題を通して身につけることができます。