ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」23 この社会の中で「男」であるということ①

 地球規模の問題として、いわゆる「女性」が構造的に差別と抑圧を受け続け、自由と平等を保障されず、生きづらさや不利を強いられ続けています。男であることで自動的に得られる特権が、不平等で不公正な男優位社会をつくりあげ、男にとって都合のよい構造が維持されています。

 これから書く内容に関して、ぜひ構築的な批判をいただきたいです。

 まず、男であることで何の生きづらさを感じることなく、自由で平等な権利や環境などが与えられているわけではないと思っています。男であるということで、

①「男らしさ」という社会意識を内面化させられ、生きづらさを感じること

②職場などでハラスメントを受けること

③ステレオタイプを押し付けられること

などがあります。私は幼少期から「男であること」「長男であること」で日常的に家庭内やコミュニティの中で生きづらさを感じてきました。

①男は強くあらねばならない。

②男は人前で涙を流したり弱音を吐いたりしてはならない。

③男は「弱き者」を守らなければならない、守れる強さを持たねばならない。

④男は「バリバリ」と働き、一家を支える大黒柱にならねばならない。

⑤男は、同級生や年下、「女」に負けてはならない。

⑥男は世帯を持って一人前になれる。

 書いていても嫌になってきますが、このような「ねばならない」の押し付けが就学前から嫌だと思って生活してきました。とはいえ、容易に逆らえる状況にもなかったので、求められる男像を人や場所によって演じていたのを今でもはっきりと覚えています。人権・同和教育の積み重ねにより、少しずつ、この息苦しさから解放されていきました。

 しかし、社会や環境が私に根付かせた「好意的セクシズム」は相当に深いものがあると、今でも課題意識を持ち続けていないと、ふとした瞬間に顔を出します。

 今でもいわゆる男の中には、「男らしさ」に縛られ、弱音を吐けない、助けを求めることもできない、強くあらねばならない、求められる男像にあてはまらない自分を責め、否定し、それが自死などの取り返しのつかない事態を招いています。自死者や引きこもり、孤独死の7割が「いわゆる男性」だとされています。

 ただし、構造や制度、慣習のレベルになると圧倒的に女性が差別等の被害を受ける側に置かれ続けています。

子どもを通じて見える性差による取り扱いの違い

 上の子が保育園に通っていた時の出来事です。何故、こんなことをしたのか、今でもよく理解できていませんが、おやつの時間になり、みんなで食べ終わった頃、いわゆる「男の子」が机に落ちたおやつをペロペロと舐めていたようです。うちの子はそれを汚いのでやめさせたいと思い、これがよくわからないのですが「グーパンチ」を見舞いました。いわゆる男の子は口の中を少し切ってしまい、泣いてしまいました。誰を殴ったのかはわかったので、保護者さんに謝罪したところ「そんなんそんなん。女の子に殴られたくらいで泣いてたらダメですよ」と寛容な対応をしていただきました。ということは、殴ったうちの子が、いわゆる男の子で、殴られた側がいわゆる女の子であった場合、寛容な対応にはならなかったのではと思ってしまいました。

 職場の同僚の子は中学生で、あまりにも言うことを聞かず自分勝手な行動をとる、いわゆる男子生徒に腹を立て、右足で男子生徒の左脇腹にミドルキックを入れたようです。この出来事についての学校の対応や蹴られた男子生徒の様子を聞いていると、蹴ったのは女の子で蹴られたのは男の子なのでということで、いわゆる逆のパターンではこうならなかったであろう、寛容な処理をされたということでした。

 保護者の側としては怒られたり、仲が悪くなったりしなくて助かった・よかったみたいなところはありますが、まだまだ、社会が変わっていないことを実感した2コマでした。殴る蹴る行為が性に関わらず平等に批判される社会をつくらなければなりません。

男性であることの特権

 私の経験を中心に、男であることでどのような特権を持っているのか、いくつか事例を挙げてみます。

①掃除や洗濯、料理をできなくても批判されない。ほんの少しするだけで評価される。

②化粧をしていなくても批判されない。

③夜道を一人で歩いても批判されない。

④結婚をしても苗字を変更する確率が少ない、変更すると思われない。

⑤好きな服装で出かけた際、痴漢などの性被害を受けたとしても、被害を受けた側にも非があるとは言われない。

⑥職場や採用時などに結婚や育児の関係で仕事を休むとは思われない、思われにくい。

⑦雑務や補助、事務的な仕事は女性の役割とされ任されにくい。

⑧昇進や昇格のスピードが女性より早い。

⑨管理職になりやすく、なりやすい構造について知らなくても済んでしまう。

⑩責任ある仕事を任されやすく、こなすと評価が上がる。

11 男性であることを意識させられることがない(少ない)。

12 好きなように働くことができ、家事や育児を後回しにして、会議や出張、飲み会などのスケジュールを自由に勝手に組める。

13 女性のような生理がなく、痛みや不快感を持つことなく、仕事や学業に集中でき、ナプキンやタンポンなどに費用を割かなくてよい。

14 テレワークでより顕著に現れた、妻よりも夫の仕事が優先される状況。

等々、上げていけばまだまだある男性特権は、凄まじいものです。

 ジェンダーバランスの調整をしているのは、いわゆる男性であったりします。バイアスも酷いもので、企業や自治体の窓口業務は圧倒的に女性が多い、教育や福祉部門に女性管理職がいても、建設や上下水道、環境分野では少ないなども、人事をしているのは、いわゆる男性であったりします。

 どれだけ女性よりも優位な位置から人生のスタートを切れているのかを、嫌というほど突きつけられますが、現実にある解消すべき重要なテーマです。いわゆる男性として生を受けた、男性として生きる以上、本来は避けて通れないテーマですが、無関係ではいられないのに、無関心な男性が多いこと多いこと。

人権・労働・教育運動などから見える女性差別

 この仕事に就いてから人権運動・労働運動・教育運動などに携わる人たちとのつながりができ、さまざまなご支援ご協力を得ているところでありますが、そうした運動においても女性差別構造が顕著に表れていることが見えるようになってきました。

 役員に就任する女性が圧倒的に少ない・役員に就任したとして最高で副というポジションまで、トップが女性になったことがないなどの構造的な問題です。トップに就任したとしても、いわゆる男性たちにとって都合の良い考えや動きをしてくれる女性を採用しているパターンもあったりします。

 それだけでなく、発言が女性蔑視であることを聞くのは人権運動歴の長い男性による差別発言です。自分の発する言動の先にいる女性を、被差別部落出身者に置き換えれば、いかに差別的であるかが分かりそうなものですが、驚くほど疎い。

 アップデートできていないだけでなく、周りにいる誰も指摘しない・できないようなパワーバランスもあったりします。好意的セクシズムは、問題にされないどころか、むしろ肯定的に、女性の理解者として扱われている状況には、とても驚きました。

 自分の不利には敏感でも、優位なことには気づかないという典型例を何度も目の当たりにしてきました。運動関係者がいる場だけでにこだわっているわけではありませんが、女性差別の問題は、マジョリティの責任として厳しく断罪するように意識しています。

 マジョリティは、アップデートし続けないと、マイノリティについて語ること、考えること、また何も言わず黙っていること、どの選択肢も差別への加担につながる可能性があり、女性をはじめマイノリティへの抑圧構造を維持することになります。自分のマジョリティ性に向き合うということです。とても居心地が悪く、逃げ出したい気持ちにもなるかもしれませんが、自分のあり方を問われる場に身を置くことが重要です。

 このような本があるので紹介します。


 ご覧いただき、ありがとございました。

2件のコメント

  1. 自分も長男だったので、言われてきたことは沢山あります。しかし、自分のマジョリティ性について向き合うことができているかといえば、怪しいと言わざるを得ません。

  2. 難しいお話ですが、自分も幼い頃から、お前は男の子やから泣くな!お前は男の子やから、女の子に優しくしろ!お前は男の子やから強く生きていかな!お前は先祖代々引き継ぐべき長男やからとか!か弱い女の子を泣かすな!男やから女の子の前に立って歩けなど、色々男やからと育ってきましたね。
    あと、仕事上、冬場は除雪車乗りますが、女性は『これは男の仕事やね』と女性は断固拒否します。
    あと、職場でもクレーマーがくると、必ず男の人呼んできてとなりますね。
    僕は嫁と結婚する時も、わしがお前を幸せにするとゆうて結婚しました^_^
    今は逆のパターンあるんですかね?
    男女問わず、人として、お互いが尊敬し合うことは大事ですし、男の魅力、女の魅力は自分は大事にしたいですね。

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