ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」4 啓発・教育は取り組めばよいというものではない。差別を持続させる教育・啓発もある?

 2020年当初、新型コロナウイルス感染症に感染する人たちが出てくると、感染者や家族、医療従事者やエッセンシャルワーカー等に向けて、深刻な差別が各地で発生しました。

 政府や自治体は緊急対策的に「STOPコロナ差別」「人権を尊重しあおう」「思いやりややさしさを大切に」という道徳的メッセージを発信しています。差別が各所で発生している時だからこそ、わかりやすいメッセージを発信すること事態に異論はありません。

 私が問題だと思うのは、この道徳的メッセージが、問題発生直後のみならず、その後も続けられたことにあります。こうした道徳的メッセージの発信をもって啓発とする状況は今にはじまったことではなく、これまでも「差別はしない・させない・許さない」「差別をなくしましょう」「身元調査お断り」といった常套句が何度も何度も繰り返し発信されてきました。

 私は仕事で年間100回程度、仕事で各所に講演会や研修会の講師にお招きいただきますが、そこで実感してきた課題面として、

①道徳的メッセージの繰り返しが市民の人権問題に関する知識理解をアップデートさせない方向に動いていたこと

②市民の人権感覚や感性を鈍感にさせるように機能してきたこと

③いわゆる「マンネリ化」をもたらし、考えることをやめた市民を育成する結果を招いてきたこと

④「人権」というワードに嫌悪感を抱く人も育成してきたこと

などがあげられます。

 「『同和問題?』もう知っているので聞かなくてもわかる」という意見に対して、私はマウントをとるつもりは一切ありませんが、「では、同和問題に関するマイクロアグレッションの例をあげてみてください」「マジョリティ差別論が先進国を中心に問題になっていますが、部落問題に関して、どのような例があげられますか」と質問することがあります。そんなに多く経験をしてきたわけではありませんが、たいていが答えられませんでした。

 差別をなくすための取組として、道徳的メッセージで一時的に「抑止」が働くことがあったとしても、本質的に差別を解消できるものではありません。コロナ禍の差別は、長らく人々のうちに厳しく根ざしていた差別が、「感染させられるかもしれない」「差別を受けるかもしれない」「感染してしまうことで、仕事ができず生活が脅かされるかもしれない」などの「利害」を感じ取った市民が、差別行為を表出させています。差別は利害によって生じる性質があります。

 うちに潜む「差別」に「自覚的」になれる質の高い啓発・教育、差別意識があることに対し、課題意識を持てる教育啓発、そして、差別をしない努力、差別を支えない努力、差別をなくす努力を積み上げる市民が育まれるような取り組みが求められています。

 そして、差別は今、再び「沈静化」しています。感染者が多く出ていることに「慣らされている」からです。この波が落ち着き、再び波が発生すれば、一度、潜在化している差別が対象者に牙を向きます。こうしてハンセン病に関する差別やHIV、原爆・原発の被ばく者や関係者等に差別が向けられ続けています。

 本腰を入れ、息の長い施策を持続性をもって積み上げていくことが、差別の同じ過ち・歴史を繰り返さない私たちがなすべき教訓だと思います。

 中古で販売されていますが、人権啓発について書かれたものもありますので参考までに。


 ご覧いただき、ありがとうございました。

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