ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」32 あのアニメも、このアニメも「ザ・人権」です!

 何気なく自分や家族、友人や知人、学校や保育園・幼稚園であれば子どもたちや保護者さんたちが視聴しているドラマやアニメの中に、人権について考える要素がたくさんあります。学校教育や保護者啓発などの際、話題を提供したり、アニメから人権について考える問題提起をできるのではないでしょうか。「ネタバレ」注意です。

はぐっとプリキュア

 もう3代前くらいになりますが、当時のプリキュアを見ていた時、私の子どもは「プリキュアになるのは女の子」「プリキュアを見るのは女の子」のようなイメージがすでについていました。ある回の時、登場の人物が、いわゆる男の子で、男らしさに苦しんだり、社会の中で「女の子がするもの」というイメージに苦しめられてきた子が「お姫さま」になりたい夢を持っていました。それを否定されることがあるなかで、プリキュアたちが

「いいんだよ。男の子だってお姫さまになれる」

と主人公のキュアエールが悪役側のキャラクターに強く発信する場面がありました。とても大切なメッセージであり、「男の子はこうあるべき」「女の子はこうあるべき」といった社会意識を変革していくために、子どもたちと一緒に考えるきっかけになるのではないでしょうか。

 一方で、いわゆる「男」キャラクターが女装したり、これまで、いわゆる「女」の人が使用する言葉や仕草を積極的に採用するキャラクターが登場したりしていて、この点で不愉快な思いをしたり、そこは許容できないという意見もあり、私も同意です。

ゲゲゲの鬼太郎

 ゲゲゲの鬼太郎では、母国を西洋妖怪にめちゃくちゃにされ日本に逃げてきた「難民妖怪」を受け入れるストーリーがありました。「生まれた国は違えど同じ妖怪同士ではないか。好きなだけここで暮せばええ」と、鬼太郎たちは、難民妖怪を受け入れる事にしました。この時、ねずみ男は難民妖怪から「宝石(受け入れ費)」を受け取っています。
 受け入れた当初は「国が違えば、食文化が違うのは当たり前」等、理解を示していた鬼太郎たちですが、文化などの違いによって、徐々に難民妖怪たちとの折り合いが悪くなっていきます。
 鬼太郎が難民妖怪に話をしに行き、やり取りの中で「郷に入っては郷に従え」と主張したところ、難民妖怪は、

「多様性の尊重が国際常識の主流だ」

「日本の人権意識はいまだに中世止まりと言わざるを得ない」

「ダイバーシティ、ポリティカルコレクトネス・・・」

などを持ち出し反論しました。難民妖怪たちは、西洋妖怪に倒されてしまい、鬼太郎たちは、話し合いをもっと進めればよかったのかなど、答えのない中で葛藤している様子が取り上げられていました。難民の受け入れ、真のダイバーシティについて問題提起された回です。

ワンピース

 ワンピースでは、「差別」という言葉や人権に関するワードがいくつも登場します。

 魚人族と人魚族をめぐっては、アパルトヘイトや人種差別を取り上げているようなシーンがいくつかあります。ロビンが、「魚人族と人魚族は、魚類と分類され、世界中の人たちから迫害を受けていた、みんなが彼らを蔑んでいた。」と解説しているシーンがあります。「俺は奴隷だった」ということに象徴されています。

 シャボンディ諸島では、魚人族の「ハチ」に対し、オークションに来ていた貴族たちが差別意識に基づく侮蔑的な言葉を投げかけ、天竜人の横暴にルフィが文字通り、キレました。人身売買についても考えさせられます。

 魚人島で傷を負い、出血によって輸血が必要になったルフィに、輸血を申し出たのは、魚人族のジンベイでした。血を通す細い管、しかし、それが差別を乗り越える、ただただお互いを支え合う、助け合うために種族(人種)は不必要であるというメッセージとなりました。

 ボア・ハンコックや部下の一部は、天竜人の奴隷でした。女性に対する差別や暴力を取り上げていると捉えています。

 「倭の国」編では、部落問題を取り上げていると解釈しています。

「おい!あれは外の茶屋の娘だろ?」「この町に入るのもおこがましい身分の女だ」「そうなのそんな女おいだしな!身分の卑しい女め!」「死にさらせ!身分卑しき下人の女が」

など身分制度を意識したシーンがいくつもあります。

 海軍大将である「緑牛」は、「差別とは安堵だ」「世界政府に加盟していない国には人権はない」といった台詞も出てきます。

 そして、差別を許さない・認めないルフィや仲間たちの生き方、サボの「俺は差別しねえんだ」などのストレートな台詞は、非常に勇気づけられます。

鬼滅の刃

 鬼滅から考える人権もたくさんあります。

 鬼と鬼殺隊は紙一重だと思うところがあって、上弦の鬼たちが死の直前に、鬼となるまでの人間であった記憶が回想で描かれています。極貧、差別、虐待、DV、病弱、激しい嫉妬、妬みや嫉み、葛藤、家族の自死、死への恐怖、社会と人々からの忌避や嫌悪等々を経験しています。そして、人との出会いが鬼と柱を左右します。とりわけ鬼は、社会や人々を憎み、恨み、呪い、自暴自棄になり、無惨や上弦の鬼と出会い、鬼になっています。

 部落問題に関しては、ケガレ思想、貧困、忌避意識等が描かれていると捉えています。また、「遊郭」編などで考える女性問題、感染症問題、DV、虐待、貧困、社会的排除、社会的孤立、自死、暴力団、家族との死別、カナヲを通じて考える児童買春、甘露寺みつりから考える「コンプレックス」、自虐、柱たちを守るために命を投げ打つ若き鬼殺隊たちから考える「戦争」問題、炭治郎とキョウガイとの闘いなどで考える「長男」説、その他、社会意識の内面化やありのままへの自他己否定など、人権について考えるプロセスがたくさんあります。

 猗窩座や妓夫太郎と堕鬼の生い立ちから、部落の歴史などを考えたり、社会的孤立や排除などの問題、貧困問題、荒れなどについても考えることができます。

 鬼殺隊の柱である甘露寺蜜璃は、外見とは裏腹に、恐ろしいほどの筋力と食欲を持ったキャラクターです。その力を持ったが故に、17歳の頃、お見合いをしますが破談になってしまいます。その時に言われた「子どもに遺伝したらと思うとゾッとします」に傷つき、自分はそのままの自分でいてはいけないと思うようになります。自分がありのままでいられる場所を探し続け、そのままの自分では人に好きになってもらえないと思い、本当の自分を隠す生活を送ってきました。しかし、ありのままの自分を受け止め、受け入れてくれるお館様との出会いによって、本来の姿を取り戻します。「ありのままの自分を出せない」「隠したり誤魔化したりする生活を送っている」人はたくさんいます。

 子どもたちが関心を持ちやすいテーマで、人権を考えることができると思います。

 「呪術廻戦」も「穢れを祓う」という「浄め」という点で、まさに部落史ですね。

ジブリ映画

 ジブリ作品の主人公に共通することは何だと思いますか?

 それは「何らかの理由で、親と離れて暮らす子ども」ということです。

 トトロでは、さつきとめいの母は病気の関係で入院しています。魔女の宅急便のキキは、親元を離れ修行に行きます。千と千尋の神隠しでは、父母はブタになってしまいます。崖の上のポニョでは、そうすけの父は出てきますが、ストーリーでは、一緒に生活する姿が出てきません。天空の城ラピュタのバズとシータ、もののけ姫のアシタカやサンは親の姿すら出てきません。ゲド戦記などもそうです。

 「もののけ姫」では、女人禁制のこと、ハンセン病問題が取り上げられています。「風の谷のナウシカ」はコロナ禍や環境問題、平和問題などが取り上げられています。

子どもたちと一緒に考えよう、能動的に知ろう・学ぼう・発信しよう

 他にも、アニメには人権について考え合う視点がいくつも登場してい流ものがあります。ぜひ、アニメなどを用いて人権を考える機会を作ってください。その際、まず大切にすべきは、授業する子どもたちの中に、どのようなマイノリティ性や悩みなどを背負う子どもがいるのかを、丁寧に掴み取り、その子たちの思いをしっかり受け止めながら進めてください。場合によっては、傷になりかねないからです。

 また、アニメに限りませんが、クラスでグループをつくり、「人権に関するテーマ」について、歌の歌詞やミュージシャン、アニメ、著名人などの中から、人権に関係すると思うものを調べて、どこが人権のことやクラスのこととつながっているのかをまとめ、生徒や保護者らに発表するような授業を展開するのも、おもしろいと思います。一つのアニメをみんなが知っているわけではないので、概要説明を加えていけば、自分も見てみたい・聞いてみたい、そんな視点で捉えることができるのかなど、さまざまな気づきやきっかけにつながるのではないかと思います。

 ご覧いただき、ありがとうございました。

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