ヒューマンライツ情報ブログ「Mの部屋」39 このままで「私たちがここ(療養所)へ連れてこられた時から何も変わっていない」という入所者の思いを変えられるのか

 予測していた通りのことが起きています。新型コロナウイルス感染症に関わる差別問題について、「騒ぎ立てられている時」には、国や政府、自治体や民間団体等々がさまざまな取組を講じていましたが、今では皆無といっていいほど、「何もしなく」なっています。これが懸念してきた「同じ過ちの繰り返し」です。福島県民に襲いかかった差別の時も、HIVをめぐる差別の時も、最初は「パニック」を引き起こし、異常なまでにターゲッティングした対象を攻撃・排除・忌避等してきた状態から「沈静化」してきた現在。息の長く地道な差別意識を根絶するための施策を講じなければならないことが、ハンセン病問題等をめぐる問題で、この社会は「何もしないことの重大な問題点」を突きつけられたにも関わらず、再び同じことを踏襲してしまっています。極めて罪なことだと思います。

 感染症や健康被害をめぐる健康・医療問題を人権問題の置き換えてきた歴史の教訓は、教訓にされないままになりつつあります。

とてつもなく厳しいのに有効な施策が講じられていない問題

 差別とは、潜在化しているものが「利害」によって表出・可視化する問題でもあります。改めて何が課題で何が必要なのかを考えていきたいと思います。このグラフを見てください

 2019年に三重県は県民を対象とする人権意識調査を行いました。質問項目の中に、「(仮に)お子さんが結婚したいという相手がマイノリティであった場合、親であるあなたはどんな態度をとると思いますか」というものがあります。HIV陽性者やハンセン病回復者の家族、あるいは難病患者であった場合、「考えなおすように言う」あるいは「考えなおすように言うだろう」という層が67.4%となっており極めて強い反対の態度を示しています。他の課題と比較してもわかるように、いわゆる患者にあたる人たちには、とりわけ厳しく結婚問題の差別意識が強く働いていることがわかると思います。これが潜在化している差別意識です。

 次のグラフは2017年に三重県の志摩市が実施した意識調査の結果です。2010年に大阪市社会福祉協議会が市民に向けて実施した意識調査の項目を引用したもので、市民の抵抗感を聞いた調査の項目です。

 例えば、「ハンセン病元患者やその家族と一緒に入浴するという状況になったら、あなたはどれくらい抵抗を感じますか」という問いです。当事者ご本人やご家族にとっては極めて不愉快な設問設定になっていますが、問題をなくしていくための調査として、こういう項目も入れていかないと「人権を大切にされてますか」と聞いたところで、どういう取り組みになるのか、どういう取り組みにつながるのかということが全く見えないような調査をしても意味がありません。市民が、利害関係を感じ取れるような項目設定がとても重要になります。

 志摩市の場合、ハンセン病元患者や家族との入浴について15%がとても抵抗を感じる、40%近くがやや抵抗を感じると、半数を超える市民が、一緒に入浴をすることに関して抵抗を持つと回答しています。

 回答項目はそのままで、「ハンセン病元患者や家族」をHIV陽性者に置き換えた場合、さらに厳しい意識の状態が明らかになりました。グラフでは、「とても抵抗がある」「やや抵抗がある」をあわせると66.9%にもおよびました。

 人々がコロナ禍以前のように旅行に出かけることが増えていき、予約した旅館にハンセン病の家族会の人たちやHIV陽性者の当事者団体などが泊まっていて、大浴場で一緒に入浴することになることがわかった場合には、大浴場に入るのをやめる、泊まる旅館を変更する人がほぼ確実に出てくる状態だと思います。熊本の黒川温泉でホテル側が拒否をしたようなことが、市民レベルでも起きるということです。

 国が本腰を入れてハンセン病問題の解決に取り組みを始めたのは、熊本地裁の判決が出てから5か月が経った2019年11月です。法を改正し、ハンセン病元患者、家族等に及ぶ差別問題の解消に向けた法律をスタートさせましたが、今、どこが何をしているのかわからないという方が大半です。自治体のなかでも、ハンセン病問題の解決に向けて、これまで以上に施策を展開するようなところは圧倒的に少ない状態です。

私たちは、何が起きている社会で生きているのか

 ハンセン病問題に関して私なりの問題意識を書いていますが、私たちが生活している社会を、ハンセン病を通して改めて見つめ直した時に、療養所に納骨堂をつくらせた、これが現在でも機能している社会で生きていることにどれだけ課題意識を持てているかということです。長島愛生園に入所されている三重県出身のお二人の方が、亡くなられました。1人は入所者のリーダー的存在であったカワキタさん、もう1人は職場が発行している通信のインタビューに応じていただいた84歳の「仮名」の方でした。

 ふるさとに納骨することが当然だと考える多くの市民とは違い、生まれ育ったふるさとではなく、ふるさとや家族から引き離され連れてこられ、隔離された療養所にある納骨堂に自分の遺骨を納めることになっています。遺骨になってもふるさとに帰れないような社会に、私たちは生きています。

 家族の方が遺骨を引き取りにいけない理由は、自分たち家族の中にハンセン病元患者がいることを社会、世間に知られた時に、自分たちに及ぶ差別の問題に非常に鋭く勘が働き、誰かに知られたり突き止められたりするようなことを、自らすべきではないという選択肢をとった人たちが、遺骨を取りにいけないという状態が機能する社会に、私たちはいきています。

 インタビューの時などに「今日はこの名前でいくわ」というように、今も本名を名乗れない入所者、元患者の存在があるという状況にある社会に私たちは生きています。

入所者の思いや希望を踏みにじった新型コロナ差別

 国賠訴訟で勝訴となり、政府は当事者や家族に深謝、法が改正され、問題解決に大きく動き出しました。入所者のなかには、ふるさとに帰れるかもしれない、遺骨はふるさとのお墓に納骨できるかもしれないと考えた人がいるかもしれません。光が差し始めたかもしれない矢先、新たな感染症の拡大が、潜在化していた差別が再び表出しました。ある入所者は、取材のインタビューでこう答えられたと言います。「(私たちがここへ連れてこられた時代から)何も変わっていない」。そもそも、ハンセン病元患者や家族に国を相手取って訴訟を起こさせる、差別被害の責任が差別を受ける側に押し付けられているのに、そのことを全く知らない人たち、知らなくて済む人たちがいる。

 自分のマジョリティ性に向き合うということは何をどうすることなのか、答えが見つかるようで、新たな課題を突き付けられる居心地の悪さから、逃げる生き方だけはしたくないと思う。

 ハンセン病問題について学ぶことができる本がいくつかありますので紹介します。


 三重県に関するハンセン病問題についてまとめられた本がありますので紹介します。


 ご覧いただき、ありがとうございました。 

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